『じぶん・この不思議な存在』鷲田清一

じぶん・この不思議な存在 (講談社現代新書)

じぶん・この不思議な存在 (講談社現代新書)

 ここへきて、ようやく読んだ。自己、他者、アイデンティティ、コミュニケーション。じぶんというものは実は不確かなものである。じぶんの確認は他者との接触によってしか実現しない。僕が(というか大多数の人がそうなんだろうけど)わりと長いこと考えてきたことがスッキリ整理された感じか。本を読む、ということの重要性を認識した。
 この本で特に印象的だった箇所の抜粋。

 わたしたちはじぶんの表面、じぶんがじぶんでなくなるその場所に意識過剰になっている。相手の眼、相手の表情ばかり気にする。身体の接点、そこをとおしてじぶんと他人の意識が行ったり来たりするような場所が乏しすぎる。みんな画像のなかの存在、ショーウィンドウ越しの存在、透明ラップに包まれた存在になっている。あるいはまるで、全身、コンドームにくるまれている。そうした感受性が浸透した都市を、以前にある建築家は「サランラップ・シティ」と呼んだことがある。

 ――つまりこれはアイデンティティが衰弱しているせいだ、と指摘されている。自分が自分であることに不安だから、「自分」に干渉してくる他者を遠ざけることで、かろうじて自分を保っているのだと(解釈合ってるよね?)。本当は干渉し干渉されあいながら、いわばグチャグチャになって生きなければならない(誤解を招きそうな表現ですが……)、というか、それがあるべき姿なのだろうな。