2008年の本

 (もともとは大晦日前あたりに上げようと思ってたんだけど、今から年がかわるまでの十日足らずの間にここに書かねばならないような強烈な出会いはない気がするのが一つ、あったとしても読んだ本の印象が十分に消化され感想が書けるようになるまでに時間がかかるだろうという判断が一つで、 12/21 〜 12/31 に読んだものは来年に繰り上げとします。もう俺の 2008 年は終わりだ! グッイブニン!)

 「趣味は読書」とさえ言えないほど本を読まない僕であって、さらに受験という僕にまつわりつく気分・浪人という身分意識からしてまともに受容できた作品が去年にも比して少ないことが推測されまして、であるにもかかわらず書いちゃいます。やってみて気づいたが、読んだ端から逐一記録付けてくよりはこっちのほうがイロイロと都合がいいようだ。
 取り上げる作品は語りやすいのを選びました。ほかにも安部公房とか太宰治とか筒井康隆とか島田雅彦なんかが良かったけれど、「2008年の」という額縁をつけて保管するにはなんとなく違うかなぁンンン、と(言いつつちゃっかり名前は挙げてますけど)。んでは以下。


▼大賞
永井均『〈子ども〉のための哲学』
<子ども>のための哲学 講談社現代新書―ジュネス
 衝撃的だったなあ。これを読んだ当時、大学で哲学を専攻しようと思っていた(今もそうだが)のですが、この本はそれを考えなおしてみる機会を与えてくれた……というか、率直に言って、自信なくしたわ。ニーチェがどうとか構造主義がなんちゃらとか言ってる本よりもずっと強烈に「哲学する」ということを見せつけられる。いや、それらの本が劣っていると言うんではないけど、そういう“思想の解説書”みたいんとは絶対的な差がある。


▼次点
ウィトゲンシュタイン(訳・註:野矢茂樹)『論理哲学論考
論理哲学論考 (岩波文庫)
 一応これも今年。センター試験当日に読み終えた(ああっ)のだった。言ってることのひとつひとつは当たり前すぎる当たり前のことなのになんだか妙に引き込まれる。公理から出発して体系を導いていくという数学の方法を実世界に持ち込んだ感じで(いい加減なこと言ってたらすいません)、「世界」を一から組み直してしまうという蛮行に感嘆。ただし流し読み気味だったので、今度あらためて挑戦したい。
村上春樹世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド
世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈上〉 (新潮文庫) 世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈下〉 (新潮文庫)
 なんだかんだいって春樹。上下巻で長いですが気合い入れて読みました。本筋とは関係ないと思うけど、主人公が折にふれてヒジキの和えもの(だったか?)やらポテトサラダやら気の利いたおかずをサラリと作ったり図書館の司書さんとこれまた気の利いたやりとりをサラリとしてしまったり、というところが小憎らしく憧れる。
高橋源一郎『ペンギン村に陽は落ちて』
ペンギン村に陽は落ちて (集英社文庫)
 「ギャング」も読んだんですけど、すいません、あまりピンと来なかった。さて置き、この作品は一体なんなの? な、な、な、な、なんなの? やってること自体は悪意のみえるキャラクター引用、といったカンジで、内容も「お前てきとーに書いてるだろ!」と言いたくなるようなもので、どうしようもない。いかんともしがたい。のだが、しかしこの妙な、ゴロゴロした強烈な異物感はなんなのか。本の頭と尾に配置されているペンギン村の話にはなんともいえない悲しさみたいなものがあり、いやはやなんともいえない。言葉にしにくいなあ。
二葉亭四迷浮雲
浮雲 (新潮文庫)
 なぜか二葉亭四迷。あとで知ることには漱石などよりも古い小説らしく、なるほど知らない漢字が多いわけだというのは別にどうでもいいですが、内容は素直なむしろ大衆小説的なものだった。読みながら文三(主人公)くんと一緒に苦悩してました。未完なのが非常にもどかしい。というか全編的にもどかしい小説。買ったきりの『平凡』はいつ読もうか。
谷川流涼宮ハルヒの憂鬱
涼宮ハルヒの憂鬱 (角川スニーカー文庫)
 まあなんだ、ライトノベルっつうのに一度触れてみるのも悪くはなかろう(と偉そうに構えているが、実際に買うときは緊張した)、てなもんで読んだんですが、まんまと楽しまされましたね。高校卒業して自宅浪人生活に入りあまり間もない頃だったから多少辛くもあった(だって学園モノだぜ……)けど、んー、や、いいと思う。


 はいはい以上。だいたい読んだ順になってると思うけど、調べてみたら一番下のハルヒの時点で4月だわ。年のアタマのほうに集中しすぎっつうか浪人して本読まなすぎっつうか読んでないわけではないんだけど。来年は大学生だし(たぶん……)本はたくさん読むはず。