ナンダ・カンダ

 でなんだでなんだの近況。エェーッ。ヤッホウ。いや、あの、僕はとりあえず言葉が続かないとその、先の掛け声じみた奇声をどこからともなく発する性質をもっていてっていうか別段書きたいこと、むしろ「書けること」がないからエェーッ、とか、ヤッホウ、とか、ゆいますんで、更に言えば僕は書きたいことをあまり持っているほうではありませんから、三段論法的にここの日記には間投詞がやたら多くなるわけですね。どうでもいいンですね。非ッ常にどうでもいいんで、これを読んでいるみなさまには申し訳なくて申し訳なさに圧迫されて身体がタテに縮む思いなのでありますが、昨日はマックスコーヒーを買おうか買うまいか迷う夢を見た私ですが、一人称の使い分けが激しいことを発見する私でありますが、そういえーばーセンター試験が既に 30 日前を切っております。マラソーンがスタートしておって、されば四月から今日までは一体、マラソンでぁーなかったのだろうか? という話になりまして、な、り、ま、し、て、実際言うことない。ないない。これこそ僕の日記の真髄、なんて、自分で言うのは恥ずかしく、他人に対して言うのはたいがい冗談であるか軽蔑を含んだ言い方で、まあなんなのか、 12 月 21 日、まるで苦しまぎれに日付を今日のデイトを記してみて気づくことはそのシンメトリーであり、もういいんだぁよ。そういうのは。無為に文章を、文章を、資源を無駄に使いて紡いでいる当方がターゲットオブ讒謗なのだし、なんならこいつを漫然と読んでる回線の向こうのあなただって同罪だぜ、と白い息吐いて息巻いてみるのは簡便だけども、この内容にて検討さるべき点が二つ、まず一つにこれは甘い言葉をかけておいて安心させるが突然堰を切ったように態度を変え多額の金銭を不当に徴収するサギスティックな手口であること、いま一つはこれは正確に言って「同罪」であるのか、という問題が、そう宇宙が膨張して膨張して膨張して破裂し(これを熱的死といいます*1)、すべてが無に帰ったあのとき、無が無が無がある、ない、ときにも残る問題です。ぽかりと。ただわたしとあなたが罪という観点から一致する余地があるのは――この場において――、時間の無駄遣い、ということでしょう! と言ったが、今日の僕はこの作文の時間を無駄とはしていない。「無駄でない」と判断した上で書き始めている。本当ですよ。しかしここまで書いてきた今、これはやはり無駄だったのではないか、不安がふつふつと湧きあがりはじめている。まてよ。その不安は大学受験に対する不安ではないのか。そうそう、受験が終わったらアンテナ巡りしてイカシタサイトを見つけたいと思ってます。以上、非常なお見苦しい文なのでありましたがたまにはこういった醜態をさらしてみるのもアリだ、と自暴自棄風に投稿してしまうのだ。

*1:というのはデタラメです、念の為の為