編集後記

  • ……というふうに文章を推敲しつつ書き上げたわけだが、見直せば見直したぶんだけ修正したい部分が現れてくるのには参った(そういえば一度、小説を書いてみたときもこれに陥った)。これは人間の意識というのは常に変化しつづけるものなのだ、ということかも分からないが、プレーンの文があまりに雑なので作りこむ余地が大いにある、ということかも知れない。さて、今「プレーン」ということを使ったが、これは僕の嫌う「外来語の濫用」にあたらないのだろうか。今の「プレーン」というのは言うまでもなく plain であり、これは「そのまま」と訳せば問題なくあてはまる。「そのままの文があまりに雑なので――」。だからこの場合はやっぱり濫用、ということになる。ただ「そのまま」よりも「プレーン」という表現が先に頭に浮かんだのは事実で、いろんな語彙を持ってるとイメージ先着順で浮かんでくるので、こういうことが起きる。でも発語する場合は他者にわかる方を選択しなければならない。表現の選択肢が多すぎるのも疲れるね。楽しいけど。
  • 文章に関してはなんか習作、という感じがするかもなあ。曲がりなりにも文章はそれなりの期間綴り続けているのだが、まともな意見文みたいのは滅多にやらないので、不慣れは不慣れなのかもしれない。あとタイトルが無味なのはどうにかならんものか。巷のホットエントリ並みに煽りの効いたやつでなくてもいいけど、せめて自分なりのユーモアでもって表現したいものだ。
  • 推敲する、ということは文章の完成度を上げる目的だけでなく、自分の思考を真剣に検討してみる意義があり、それを達成してはじめてこれを「自分の意見」として語ることができるのかな、とか今思った。もう2時かよっ。