ただいま試行錯誤中

 んんー、なんつか。日記を書いてみたりするわけですけど、書き終えた段階で我に還ってみると、もう発表したくないなァ、という気分がかすめる場合がある。よくある。よくあるゆえに前にも何度か書いた話題だが、よくあるゆえにやはり今回も書かねばなるまい。 つまり。 こないだの文章を仕上げてみて感じたのだが、これが案外と無味乾燥な、ンー自分が求める「日記」とは隔たったものであることに落胆した。それはそうだ、それこそジャンルは「思考」だし、自分だってその思考とやらを完成させることを主目的として掲げ、文書を製っていったはずだ。
 それでもなんか期待外れだったんですよねー。僕としてはなんだろう、読んでいて楽しい、いわゆる文章そのものの快楽とやらを求めて日記を書いている存在なのでして、その観点から言えば、前述の論文的、“意味”しか中味がない、端的に言って「つまらない」、文章というのは、まあ、僕自身はあんまり書きたくはない。いや。厳密に言えば、僕自身が書いたつまらない文章は僕自身が読みたくない。??。そういえばこんな風に「読者としての僕」を客観1として立ち上げてみたわけですけど、近頃、なんというかウェブ上の文章をまともに読んでいません。アンテナでもって更新を確認はしますが、なんだかもう楽しめていないように思う。その、文章を。それそれこそ「確認する」のみ、って感じであって、鑑賞というとこまで至っていない。なんだろ。更新自体は楽しみなのだが、……
 それはまあそうなんだわ。そういうときもあります。ありますし、物象は常に変化しつづけるソレであるから仕方ない。これは一過性の気分かもしれないし、ちょっとした感覚を増幅して、「気分」をでっちあげてるだけかもしれない。あるいは今後一切日記サイトを読まなくなる可能性もあると言えるわけだ。近頃ではそんなこともサラリと言えてしまうようになった。……で、なんだ。なにが言いたいんだ? 俺は。いやいや。何度も言ったはずだ。「言いたいことなどない」って。大して言いたいことなどないから(逆説的に聞こえるかもしれないが)これだけの字数が出ているのだし。むしろ「言いたい」という意識のみが先行して今日もこの文章を書かせている。だから、そういうわけだから、前回のあれみたいなヤツは、なんか箸休めみたいに認識してもらいたい。外国語が所定の手続きを経て外来語になったなんて話は、実際はどうでもよかったりする。アレは書きかたがよくなかったかもしれない。答えを導く過程を重視すべきだったのかもしれない。あの記事の真意は、つまりなんというか。ひとに伝わるように書こうとすればするほど、自分にとっては納得のいかないものになっていく気がする。月並みなセリフか。
 それはそれでも、まあまだ一作目だ。一作目からうまい具合にいってしまうなんてあまりに都合のいい話だし、一作目から大傑作だったらまったくつまらないじゃんか? 結局、人間とかなんかは、徹頭徹尾、つまりハジメからオワリまで発展途上なんだよ、という当たり前のことを今確認したに過ぎない、ということになるか。