いまの心情、いつもの心情

 ふむふむ。要するに、いつも、これからも、たびたび俺はこの感覚に悩まされることになるのだろうか? この感覚はなんだろう? なるべく、言葉にしようとしてみる。一。閉塞感。これがまっ先に浮かんでくる表現。だからといって必ずしも正しい表現だというわけではない、ぱっと浮かんだ言葉は核心をついていることがあるいっぽう、核心を外していることもよくある。まあ、そういう戒訓はべつにいい。閉塞感ね。閉じて塞ぐ感じ。あっている、といえば、あっているかもしれない。こう感じているときの僕は、閉じている、塞いでいる、といえる。でもそれは「感覚」そのものだろうか? もっと、うじゃうじゃと侵食するような、ひしゃげるような、なんか“変形”に近いもの? がある? というのもいまひとつだ。別にいいかあ。いいかな。この文章なんて、自己治癒にむけた試みに過ぎないんだし。いや、「過ぎない」なんて言うと大したことないみたいだが、まあ、つまり自己満足なんだよな、ってことであります。
 わからん。なんなんだろこの感じ。いや、いまは、この文章を書いているいまはその感覚は薄らいでいる。が、パソコンの前を離れた瞬間にあの間隔が心の隙に入りこんできて、僕をひどく苛むような、いやーんパソコン依存症かよっ。違う。違うけど、それも一種あるんだろうなあ。とか。とかね! どうでもいいけどね! だからなんかこれ書いてても進まぬのですよね。それは知っているし。でもこれ書くことは書くこととして意味はあるというか、やっておくべきことだと把握したのでやっているんだし、でもこれどこで終わらせればいいかわからんわ。文章が。いやあのねえ、だからねえ、要するに、いつも、これからも、たびたび俺はこの感覚に悩まされることになるのだろうか? ということがこの文章の主題というか、最も口に出したいセリフだったんだすけども、そりゃ答え出るはずもないよなあという気もしている。ではこのへんでまた。