窓から流れ込む日記

 窓から流れ込むおいしそうな料理の匂いのする風を吸い込んで、夕方を感じる。書こうか書くまいか、どうしてか迷っていた――いわば、心理的な障壁が、無意味な障壁ができていた――意識は、まずこの匂いに喚起されて、ログインして日記を書き始めた。
 が。書くことがない。いや。ありました。毎日の巡回中、ぼんやりと今日あったことを思い出しつつ、さらに内容をまとめて文章を頭で出力してみもした。ただ、文章は文章自体の論理をもっていて、自分で
 ……(水を飲みながら)で、文章の論理と、自分でいくつか浮かべていたコトドモの適切と思われる流れと構成は、だいたい一致しないわけだよね。言い換えれば、周到に「言うこと」を準備して、頭で構成を考えてあったとしても、いざ文章を書き始めてみると、アレっ、思ってたのとちと違うなあッつうか全く予想だにしなかった選択肢「(ゐ)」が眼前に現れていることはんんー今更書きなおすまでもないことですねえーさすがに何度も言いつづけてきたことの再生産ばっかり、ってのもつまらないですし、ちかごろは、これはあるていど特別な考えだと思ってたのに、自分と似た思いを抱えているひとも案外いるじゃん、いや、むしろ、それってかなりポピュラーな思いなんじゃん?! という状況把握が到来しつつある。あと、ああ、あと、先月ぐらいからでしょうか、読者にやさしくないタイミングで改行することがたびたびありますが、なにやらコイツ奇を衒っているということではなく、なるべく僕が書きやすく、心の(あるいは僕の内にある文章の論理の)赴くままに指先を動かしているだけです、だけですぅ〜〜。イヤ今の、今の奇矯な文末はカッコツケっぽい内容を中和するというか台無しにするために投入したわけでありますが、ここらで一旦休憩をはさみたい。もちろん文章を読んでいるあなたには僕の休憩を伝える必要も義務もないしそれは伝わらないし伝える努力もしません。と、言うことにはなんの意味があるのかないのかと言えばあるはずで、どうしても自分の言っていることにはっきり精確を期したい、という独善的で自己中心的な「意味」ではあるのですが。

  • さほど強い関心をもつわけではありませんが、「人生」という語には、生まれてから死ぬまで、その長く(?)感慨深い、道のり・ストーリーを示す印象があり、一方「生活」は日々わたしたちが起きて活動して寝ている、その行動のそれぞれを総称、あるいはその総体を指している、というふうに勝手に理解しているのですが、あなたの理解とどの程度一致しているでしょうか? あるいは「人生」と「生活」を二項対立させない、という見方もありそうですが、その捉えがどのようなものなのか、僕には想像がつかない。

 インターネットはわたしたちの時間を容赦なく極悪に奪っていく、というようなことはわりと繰り返してきたつもりですが、もうこれは毎回毎回のように感じている。こうして日記を書くあいまに「どこをリンク集に追加してどこを追加しないか」などとつらつらと巡らせている時間、ぼんやりと表示されたページを読むともなく読んでいる時間、思いつくままに amazon.co.jp で検索している時間、もうほんとうに恐るべしタイムイーターなのですけど、「ぼんやりと表示された」……などと例示を増やしていたら、そもそも何を言おうとしたか忘れてしまった。例は 3 個ほど提示するのが適当だという意識があって、その例示に頭を悩ませ、本筋をさておいてしまう。こういうのを文章の論理に引っ張られると言います。
 はてなダイアリーの「日記を書く」の書き込み欄が上から下まで埋まってスクロールバーが動くようになってしまったので、この段落あたりで今日の日記を終わろうと思います。これを書き始める前に考えていたことのひとつに、「未だに自分のプライベートを記述することには抵抗がある」というのがありました。そのプライベートというのは、一つには大学のサークルなに入ったとか、一つには今日買った本とか、そういうわりあい匿名的なハナシも含めて、です。これはもう個人情報を晒すことへのネットリテラシー=ドグマ的恐怖というよりも、この「楡男」はあくまで無色なウェブサイトでありたい、みたいな思いの表れなのかもしれない。作者がどうこうの人間である、ということを排除したいのだ。……なわけがなくて、何となれば僕は読んだ本を晒すわ自宅浪人自宅浪人と繰り返していたわ(いや、あれは必要に駆られてのことだったが)プロフィール欄に 1989 年生まれとかいろいろ書くわ、要するに自分の望むキャラクターに一致するとこはしっかり提示してるわけです。ということを考えると、無色でありたいなんつう思いの表れではなく(いや、確かに、文章に書き手のキャラクターが先行していたらやだなあ、つまり、キャラクターはあくまで文章から取り出してほしい、という漠然たる思いはあるけど)、サークルに関してはわりと具体的でもしかしたら特定のおそれがあるので控えているのと、そもそも日記を書いているうえで提示する必要がないこと、買った本は、ええっと昔は載せてましたがやめちゃったんだよな。いろいろ書いたけど、ほんとうは、日記を書くということが本を買うことに連動しているのがめんどくさい、とかそんな感じだった覚えがあります。そういう実際的な要因から公開はしてないわけです。