WW問題その5

 ひさびさに。というか、この問題はあれから今に至るまで途切れることなく続いていたことを一先ずお伝えしておこう。念のため。あるいは僕のため。それは別に細かいことなんですけど、この問題の様相、あるいはこの病気の症状、がはっきりと見えてきたのでノートつけておきます。単純に言って、僕は集中力がなくなったのかなんなのかわかりませんが、文章の内容を自然に捉えることができない。さーっと読んでいても、なにげなく本の“紙”そのものや、モニタの“画面”そのものを眺めるかたちになってしまい、その、意味のほうに自然に意識が向かない。最初っからゲシュタルト崩壊が起きている感じ。だから本を読むときは意識的に文の意味や論理構造を捉えることに神経を集中させているのですが、それでも少し気を抜くと、ひとつ前の文になにが書いてあったのかさえ憶えていない。
 あうあああああだから今日もちゃんと読めていないんだあなたがたの文章ををを! あ、この文章、巡回しながら書いてます。さて、で、目下、僕は上記のようなことで困っている。程度の波はあれど、わりと昔から、困りつづけている。なぜこのようになったか、原因を探ってみても、おそらくこれまでの生活と体験の蓄積がじわじわと僕をこの位置に流れつかせたのだろうから、犯人探しはあまり意味をもたないように思われる。ただ、この、いわば病気の、症状という表面的なありさまの背後にある、なにか仕組みみたいなものを分析してみることからは、何らかの成果が得られそうな気がする。最初のほうで僕は「集中力がなくなったのか」と書いた。これはこれでこの症状を常識的に明らかにしてくれる、さらには親切にも有効な処方箋まで示してくれそうな、いい説であるとは思う。しかし、書いている僕自身はその説が正しいとはあまり積極的に認めたくない気がする。最初っから「これは違うだろうけどな」と思いながら、ひとつの一般的可能性として、挙げてみたまでだった。
 ……いや、……でも、やっぱり単なる集中力不足かもしれない。自信なくしてきた。だいたい考えながら書いてると文章の組み立てを考える関係で論理的に誤ってるとこが自動的に正される、もしくは自分の思いを客観的な言葉に置き換えることで考えていることを手にとるようにまじまじ眺めることができるゆえ、順当な答えに導いてくれるものなんだけど、今回もその事例に洩れず、ということなんだろうか。つまり、僕が「集中力不足」を否定したかったのは、このいわゆる病気というのが能う限り自分だけのもので、俺は独特の状態にある、ということへの願望のあらわれでしかなく、「文章を読むのに障害のあるキャラ」の保持に躍起になっていただけだ、と。うん。たぶん、おそらく、そんなところなんだろうとは思う。ただし、自信なくす前の心境を思い出してみれば、この「常識的に順当な答え」というのも多分にアヤシイ代物なのではあるんですね。「説得はその内容の正しさによらない」というのは僕がすこし前に痛感したことなのですが、要するにもっともらしい説明だとスッと納得してしまいやすい。あ、いや、先の格言めいた訓の意味はほんとうはそうではなくて、むしろ説得に論理なんていらないんだ……、と僕は感じているのですが、とりあえずそれは措いて、やっぱり口当たりのいい説明には警戒したほうがいいわけです。当然ですけど。または、客観的真理がほんとうに正しいのか? みたいな根本的な懐疑もあります。いやそこまで疑われるとどうにもしがたくなるのではありますが、なんというか、真理がどこかにあるとしよう、すると、この僕の心のなかで抱えていた思いというのは単なる迷妄に過ぎなかったのか? みたいな感じです。いやそんなこと言うと多分「これが文系の悪いところだ」などと言って怒る/呆れる人がいそうですが、とりあえず本人が釈然としないものを覚えているのだから納得するまでやらせてください。というわけで、もうちょっとこの状況の観察を進めたいと思ってますが、そろそろ集中力が切れてきたので今日はここまでにします。