twitter とのつきあいかたを考える

 こないだから四日間ほど twitter にいて、一旦楡男に戻るわぁとここに帰ってきたわけですが、当面の気持ちとしては完全にサヨナラ、というわけではなく twittertwitter でちょくちょく使っていきたいと思ってます。ただ、それならそれで twitter に対する態度をある程度はっきりさせておこう、ということで。毎度のことですが完全に自分専用でまとめてます。


▼基本的には
 とりあえず今後も日記重視。確固たる根拠はないんだけど、 twitter 一本になると mixi にこもってる連中と同じく井の中の蛙になると思う。まあはてなもケッコウ閉じられた環境ではありますが、それは程度の問題ということで。……まあ本当のとこ言っちゃえば僕は日記という形式に愛着あるいは執着がある、ということなんですが。あとは、公共性を大事にしたい、というのもある。内輪受けということがあまり好きでないので。うーん、結局んとこ、これは個人の好悪の問題になるな。ともかく僕は日記メインでいきたい、ということで。


twitter のメリット

  • 仔細で記事にしづらいことを発信できる
    • これは大きくて、第一に僕は「一言」を記事にのせて更新する、ということができない。それは単に形式に由来する抵抗感なのですが、ともかくブログで一言更新なんてできないので、それを適当なタイミングで発言できる twitter はありがたい存在なのです。/あ、ところで、僕の日記は「一言」を寄せ集めてレンジでチンしただけじゃないか、言いたいこと言ってるじゃないか、と思う人があるかも知れません。確かに実際そうなんですが、だからといって日記だけで「一言」の発信が満足されるわけではなくて、というのは僕が日記を書いてて出てくる話題っつうのはささやかな文脈に合わせて支流のように表れるのでして、作者側でこれを統御することができない。これは僕の執筆スタイルの問題なんですが、とにかく日記というフォーマットの上では自由にものを言うことさえ叶わないのです。ですから twitter を使えば単発で内容を発信することができてこいつはメリットだと言っているわけです。
  • 使ってて楽しい
    • これは否定できません。あの人の what he(she) is doing を垣間見るかたわら、自分のふと思ったことを発言してみる。擬似的(近似的?)な時間の共有といいますか、コミュニケーションのもたらす心の安定あるいは揺れ、刺激といったものを得られるというのは単純に優れたシステムだと思いました。あと色んなひとの発言みていて得るところが案外大きいのも事実。


twitter のデメリット

  • 参加性が強い。すなわち、外部から見られることに弱い
    • 先に述べたように twitter は都合いいし、楽しい。しかし、訪問者側からみてこれは如何なものかな? という気持ちもある。要するに、 twitter に参加してるのとしてないのでは、情報の受容において隔たりがあります。ログインしてちょこちょこ発言したり他の人の発言をある程度リアルタイムで読んだり、ということと、既に発言されたものを twitter.com/ユーザー名 からまとめて読むのとは、大きな違いがある。テレビゲームを実際に遊ぶのと、人が遊んでるのを見るのと、とほぼ同じことです。コミュニケーションツールとしてはブログより遥かに進んでるんですけど、それゆえの閉鎖性なのかな、繰り返しますが膜の内にいるのと外から眺めるのとでは別の風景が見えていて、 twitter ユーザーと非ユーザーとの温度差が無視できない程度にある。逆に、ブログはコミュニケーションツールとしては(今となっては)弱いけど、内から眺めているのは作者だけだから(読者は書き終えられた文章を読むだけだから)、その点では平等。 twitter ではその参加者と非参加者との間に、わりと太い線が引かれていることがちょっと厭だなあと言ってるわけです。


▼じゃあ結局、どうすんのか
 はじめに書いたとおり方向性としては「日記をメインに据えつつ、 twitter も都合よく使っていく」ということになる。とするとあとすべきことは利用頻度のだいたいの規定か。ただ四日っきりだとデータも少ないので、ある程度は実際に並行しながらシコー&サクゴで見つけてゆく、ということになりそうだけど。あるいは大学はじまったらそんな暇ないかも知れないけどそのときはそのときだ。
 というか問題は、いろいろ発言してるうち、発信欲が満たされちゃって、日記を書かなくなる、というのが最大の考慮すべきことなんだよな。日記では書きだされない質のものを発信するのがもともとの目的だったわけで、それを逸脱するような発言はなるべく控えたいと思います。
 ……と、そんなところかな。あとは野となり山となりつつ(日記と並行しつつ)もう少し中身のある意識を形成しよう、ということで。