昔はよかった症候群

  • ああ言っておきながら、気づいたらひとの日記読んでやがる、自分。しかも古い、 2002 年くらいのもうないサイトのやつを Internet Archive に突っ込んで読んでいる、自分。でもそうそう、今の日記に足りないのはコレなんだよな。そもそも今は日記自体が少ないように思う。
  • いえども極端に寡聞な僕ですから、今のはてなダイアリー界隈がどうなっているかなんて知らない。もしかしたら素敵な日記はところどころあるのかも知れないし――。そういえば、「じゃあ、はてなの外はどう?」というのがある。あるけど、前に移転しようと思っていくつかのブログサービスの上澄みをすくい取ってみた限りでは、ああいうのは僕には住めないと思った。逸れましたね。
  • もう一つ、覚え書きしておきたいんだけど、ページデザインというのは実際、“差”をつくってるようだ。べつに個個のデザインの機能ではなく、基本として“差”をつける意味だけで。逆にページデザインを変えてないブログというのは既にその時点でいくらかスタートラインが下がる。言いすぎかな。ともかく近頃は外面も大事であるようだ、と思い始めている。形から入る、とかね。
  • なんだろ。今のひとは(俺も含め、だけど)工夫がなさすぎるんじゃないだろか。見られることを意識していないというか*1。つまり思ったまま独りよがり的に書いても仲間が出来ちゃう(つながっちゃう)仕組みになったから? 一般性の磨滅ということかな。外にひらける力がない。かつては「テキストサイト*2」という時代背景のなか、ふつうに日記を書こうとしても一般性(サービスと言ってもいい)をもたせざるを得なかった、と言えないだろうか*3。その点今は、面白くなくとも、それなりに人は来るようになった。そこで一応の満足は与えられてしまう。まあ要するに「なんも考えてなくても」大丈夫なのだ。だから近頃の*4日記は紋切り型というか、自分なりの個性を出そう! とか思っていない(ものが多い)みたいで、なんとなくつまらないなあという感じがする。……いやいいかげん自分でもうんざりするような話なんですけどね。
  • というか何やっているのだ。朴は*5。ところで今日はずいぶん脚注が多いですね。どこを括弧書きにして、どこを脚注にするか、は、結構迷う。

*1:なんかこないだ(一月十六日)と相反するハナシになってるみたいですが、たぶん全体的な読者の絶対数が増えたんだろう、意識している人も増えれば意識していない人も増えた。

*2:もはやこの言葉嫌いにさえなりつつあるんですけどね……

*3:すこし補足。テキストサイトがあった時代、サイトの優劣をはかる公共の物差しは「面白いか」もっと言えば「笑えるか」だったと思う。だから、多くのサイトは「面白い」を目指したし、そうしないと客は来なかった。日常を「テキスト」に昇華することが必要だった……んじゃないかな恐らく

*4:この物言いには要注意ですよ……

*5:「僕」の変換ミスですけど、「俺」「僕」「私」など、よくある一人称がことごとく代名詞たりえなくなってきている昨今(これに関しては保留さして)、こういう手もアリか、と思ってもみる。というか本当に何やっているのだ本当に俺は土曜の午前中から