多量の思考のみが

 こんにちは。整理しながら書こうとして挫折しました。楡です。ぜんぜんこの自称がなじまないのでまた変えるか、幾何に戻すか、いっそ本名に……など、通学中や授業中に精神を散歩する材料には事欠きません。まあそれはいいんだけど。悠久に脱線してしまいそうなのでさっさと本題に入りますと、前回前々回で取り上げた話題については今後もこれを考えていきたいと、その過程と成果をこの場に示していきたいという方向で心が進んでおります。まあそんなことは読者諸氏には関係がないんだけども。やっぱりこれまでにも何度も決心し、挫折するまえに忘れていたことですが、結局畢竟つまるところ僕の思考は有り体に言えば浅いんですよね。さきほど前回の日記を読み返していて、「これ違う」というところを見つけたんですよ。二段落目で、自分が書いてて「ウソくせぇ」と思うのは結局内容よりも文章の愉快さ・心地よさを優先してしまって、ないし他者の眼を意識しすぎて自分を偽ることになってしまって、自分の素直な考えが出ていない、とかそういうことを書いたのですが、これは本当は……うーんさっき僕が読んでて直感したのは、お前の文章がウソくせぇのは虚飾によるのではなくむしろ、なにかを説明するにあたって仮ごしらえの理論を適用するので、いわば文章がその論理にDRIVEされてしまっているせいだ、ということなのでした。というかこの自己分析もちょっと揺れ動いてる。そういうふうに、んー、僕にはそう、考慮が足りないんだよなあと思うのですね。書いてるうちにいろいろなことが見えてくる。ただしそれを全部回収するにはよく考えなおして吟味しなければならない。なのについつい一発で答えを出そうとしてしまって、まだまだ検討する余地があるというかところどころ間違いを含む、中途半端なシロモノばかりを作りだすことになる。
 なんかぐだぐだな(こっちの話です)ので結論。「多量の思考のみが納得いく答えを出してくれる」。ということでじっくり考える時間を設けよう。できるだけ。