好みの話・ばらばらと

 二回ほど文章を書きなおして消した。今日は、すぐれているとは思うが僕が積極的に面白いと思わない日記について考えていた。書いていると自分の考え方に疑問が生じ、それを踏まえてまた書きなおす。そのうちまた自分の態度に疑念を覚え、ふたたび消しては書く。そうして自分の納得いく、一貫した考え方が得られればいいなと思う。「消しゴムで書く」という安部公房の言葉を思い出す。(それにしても小説読まないとなあ)
 さて、何だったかな。僕の好きでない日記についてだった。否定を中央に置く話題を聞くのは好きでない。「何々が嫌いだ」「何々はつまらない」なんていう雑談は、隠れてやれ、と思う。しかし今僕はそういうことを書こうとしているわけで、……うーんいくつかの例外を思い浮かべるに、嫌ったり貶めたりするのもその人のあり方次第だとは思うけども。つまり、……まあ要するに、いたずらに嫌うことをせず、それだけの確固たる理由をもって嫌え、ということなのだと思う。この文章は、そんな「嫌うための確固たる理由」を探すためのものになる。なんて言うとちょっと狡いですね。んー。でもそんなところだ。
 僕の好きでない日記。それは一言でいうと、完成されている日記、到達してしまっている日記、そんなところだ。もちろんこれには例外もあるから、これは仮の規定ではある。ではなぜ好きでないか。おそらく、……
 ちょっとタイム。たぶんこの文章も、このまま書いていくと消される宿命にありそうだ。それは僕のなかでこの問いに対する答えが未だ固まっていないからだ。しかしここまでで出てきた内容は消すには惜しい。いやもちろん惜しみなく消して何度となく書きなおしてこそ強靭な文章が出来上がるはずだ。だけど今日は今日のうちにはそれは無理そうだ。だからとりあえず今日はここまで考えましたよ(って……結局本題はなんも進んでないけども)という活動記録として、この文章はこのまま残しておこうと思う。
 さて、なんで今日のうちには結論が出ないと思ったのか。実は参考にと思って、この文章を書くのに念頭に置いていたサイトの文章を読んでいたのですが、そのひとは言葉について、ほんとうの言葉で(そんなものがあれば)語ることのむずかしさ、について書いていた(そういうふうに読んだ)。それを読んで、ああなんかこれは自分の思考からも最終的には「言語」というものと対決しなければならないのではないか……と思ってしまったのです。言語と対決するのはほんとうに面倒で、それはまあ直感的に納得していただけるのではないかと思います。これで直ぐに答えを出すのはムリ。ところで、そのサイトの日記を読んでもうひとつ気づいたのは、その日記はいわば一話完結している。完結しているということはいちおうの答えが出ているということである。しかるにその日記は答えの出ない話題を扱っている(だって、「言葉」だぜ……)。答えの出ない話題を扱いながら答えが出ている、これは何かといえば、その筆者にとって語れる部分だけを語っているということだ。だから答えが出ているように見えるけれど、それは問題の核心を仕留めるものではない。なのにアレだ、彼はあたかも答えが出たかのようにふるまい、記事の内容を簡潔に表すタイトルさえつけてしまっているではないか……みたいな、そのあたり。そのあたりが整理されてないし最終的な結論だと言えるまで考えてもいない。
 たぶんこの世には答えの出ない問題がたくさんあって(というか、ほとんどがそれだと思う)、僕は結局のところそこが気になるのに、それにまともに取り合うことを避けて迂回して、根本のとこは知らんがこういうことは言えるよね、ということだけ述べて終わっちゃってる、この話はここで終わり、としてる(ふうに見える)ことに対する違和感、なのかもしれない。本当はハッキリしたことなんて言えないで仮の答えを述べた(あるいは手がかりを提示した)だけなのにそれが本答なのだよというフリをしていることを。いや、たぶん、実際のところは、提示されているのが仮の答えだったのはみんな知っていて、だからそこは省略してるんだよ、っちゅうオチなのかもしれないけど。とにかく、もうしばらく考えないとダメだ。