世界の均質化

 めずらしく社会のこと書きます。
http://www.asahi.com/business/update/1113/TKY200911130217.htmlhttp://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20091113-OYT1T00631.htmhttp://sankei.jp.msn.com/economy/business/091113/biz0911132132019-n1.htm
 ファミリーマートam/pm を買収し、子会社化する。街から am/pm の文字が消え、代わりに緑・青・白の店構えが増える。こういう認識でたぶんいいと思います。このニュースに関して僕が言いたいのは、「じゃージャワティの新しい味が出たらどこで買えばいいんだ!」ということではなく(最初に思ったのはこれなのですが)、スローガンっぽく言うならば“世界の均質化”の動きの、不穏さ、みたいなものです。率直に言えば、この状況は僕にとっておもしろくない。上に掲げた三つめの産経のニュースに「コンビニの再編はサークルKサンクスが誕生した平成13年以来、8年ぶり」とあって、もうそんなに経ったのかとびっくりしたのですが、あれはまだサークルKとサンクスが別べつの店舗、別べつの内容を保っていてよかった。今ではどちらもあまり見かけなくなっちゃいましたが。でも、今回は「子会社化」ということで、まあ要するに am/pm が消えちゃうわけです(でいいんですよね?)。
 ……何が言いたいかわかりづらくなりそうなので仕切り直す。さっき言ってた「世界の均質化」というのは、裏を返せば「世界の多様性」が失われるということです。 am/pm が(コンビニとして)消えるということは世界がまたひとつ多様性を失い、均質化するということになります。僕はそれが好ましくない。なじぇ好ましくないのかと問われると答えに窮してしまうのですが。でもアレだ、例えばコンビニで飲み物がコカコーラしか買えなかったら嫌じゃないですか? 雑誌コーナーで週刊新潮だけがズラーーっと並んでいたら、うええ、と思いませんか? 街並みがセブンイレブンマクドナルドばっかりだったら萎えませんか?*1 というまあ極端な例ですけど、そういう感覚に基づいて言ってます。それで、近年かどうか、いつごろ始まったかはわからんけども、どうも上記の例示のような世界に近づいてきている気がしてヤダなあと思っているわけです。
 以下、つけたし等。
 会社が統合されるのは経営が厳しいからで、そんな会社は別の大きな会社の下に入ったり、同じくらいの規模の会社とくっついたりするらしいです。それで、それは(よく知らないが;社会科ちゃんと勉強すればよかった)資本主義社会のありかたなんだろうと見ています。いっぽうで、企業の統合が進んでいって最終的に単一の企業によって財やサービスの提供がなされるようになるとすれば、つまりあらゆる分野において独占状態になるとすれば、これは共産主義社会のありように近くなります(これもよく知らないが)。……ちゅう事は、資本主義の窮極の形態は共産主義なのではないか……ということをちょっと思いました。そのへん詳しくないのでネタ程度のおはなしですが。
 あと、世界の均質化はウェブにも顕著で、たとえば(たびたび槍玉にあげて恐縮ですが) Wikpedia がその一例です。グーグルでちょろちょろっと検索するとウィキペディアにほとんど直通して、ものごとの概要がつかめる(/つかめた気になってしまう)現状というのは、教育の観点からしてどうとかいうだけでなく、どこか不穏。不穏というのは一点集中型はその一点が崩れてしまうと――とかいう話でもあるけれど、でもやっぱり文化としてしょぼくなっているんじゃないかなあという感じが大きい。辞書引いたり図書館で本を漁ってみたりする必要のない環境になって*2よかったなあ、とはいかなくて、辞書を引いたり図書館で本を漁ったり、本屋に立ち寄ったりしなくなることで私たちはどれだけのものを失うのか、ということなんですね。単一の規格ですべてを扱おうとする試みっていうのは、なんちゅうか寒いというか。
 そういえば、この均質化、多様性を失うことは、社会の個個の動きが自分用語で謂うところの「低次の『必要』」でとどまっているということなのかもなあ。この低次の「必要」というのは、まあ簡単に言いかえると「最低限必要」ということで、たとえば渋谷から新宿に行くためには健康な身体さえあればいいわけです(歩いていけるので)。程度問題はありますが、とりあえずこれを最低限の必要と置いてみる。すると、僕が望ましいと思うくらいの必要には、健康な身体に加えて山手線に乗れるていどの金銭が欲しい(歩いていくと疲れるし時間がかかるので)。なのだが、実際は満足のいくところまでやるのではなく、とりあえずこれで単位はとれるぞという程度までしか追求されていないのではないかと。先の例で言うと、ジュースはコカコーラだけあれば充分だろ、という意識が蔓延しているんじゃないかと。……しかし、これは或る意味で仕方ないのかもしれない、つまり、いまの社会にはそんな余裕なんてないから追求しようにもそれどころじゃないと。実際、現状としてそういうことなのだろうなあと思います。もちろん、それで「仕方ない」と言って納得してちゃだめなんですが。

*1:以上、例示は単に思いついたものを並べただけであって、他意はありません

*2:いや、ほんとは辞書引いたり図書館で本を漁ったりということは、依然として必要なのだが……と思ってはいるが、ウィキペディアの概要でいちおう満足できてしまうという意味で