さいきんの主な自戒(小人物)

 さいきんの、ちゅうか、今までずうっと出来てないことなんだが。数日まえの日記の冒頭で「あんまり心に余裕がなーい」と述べたとおり、さいきんは特にそんな傾向ぎみかなあっと。うすうす感ずることの目立つ数日です。それで、心に余裕がないとどうなるかというと、落ちついてすべき物事に落ちついて取りくめない、という、たいへんにミステイクな状況に落しこまれるわけです。物事に落ちついて取りくめない。これはホントに由々しい事態なのでございます。由々しい。ああー由々しいなあ。ワァオ由々しいぜ。由々しいジャン。由々しいでろ〜〜〜ん。由々しいバラスガスダスマカス。いや。あの意味はないんですけどこの由々しいシリーズには。ともかく、他のひとの日記さえ満足に読めないっつうのはマジで厭だす。満足に読めないっつうのは、べつに現実問題どうしても時間がなくて、死ぬ、というわけではなく、「時間がなくて、時間がない」という意識がつねに心の奥ふかくにわだかまっているゆえ、落ちついて腰を据えてじっくりと他のひとの日記を紐解き読み解き文句をつけたり感心したり頭のうちで勝手に添削したり(失礼だ)ができていない、ゆう意味で、そもそも文章を眼で追うまでもなく何んちゅうか文章の表示されたモニターをスクロールしつつ一瞥しただけで何か何か作業が完了したかの様な気になってしまっている。のです。ヤバいです。これはいけません。悲しいです。心はシラフですが客観的に見てこれは悲しいことだし、生活が、そして僕の世界が平板に固まりつつあるのを想う。いま、僕が小説を書いたとしても、なんかすごく無彩色というか、主人公こと僕が歩いたり電車に乗ったり授業を受けたりしているあいだダラダラと無軌道に考えるというより意識をよぎることばかりがつらつら綴られるだけの内容、つまり要するにこれは前から問題にしていることだが、僕のうちには利用可能な風景が乏しい。いろんなものを見てないから。毎日同じ景色、毎日同じ生活っつって歌の文句みたいだがそんな感じで、歌の文句がそんな感じなんだからみんな多かれ少なかれ似たようなことを考えてるに違いないんだけど、まあーとにかく改めて省みるにこの風景の乏しさね。これが人生の乏しさ、人間の乏しさにほとんど直結している感じがするね。というので、色んなとこには行くべきだし、行ったら行ったでそこをじっくりと見ていくべきだ。どうもいい景色に出会っても歩む脚が止まらないので困ってます。勉強もどうも基礎体力でこなしてる感じがあって、基礎体力でこなせるのはそれでさっさと済ませればいいんだけど、じっくりと身体に刷りこむというか飲みこむというか馴染ませるようなものまで基礎体力分と同じ構えでやってしまっている。のでまずは時間を確保することが大事だし、あとはなるべくじっくり物事につきあうよう意識しとかねば。