振り返る場所;と、日常を繋げられればいいんだけど

 放ったらかしにしているものが多すぎる。もう、前っから言い続けてきたことだが、自分はなにかを完遂するということがめったにない。/ここしばらくはやたら遅くまで起きている。あんまり眠くならないもので。もちろん起きるのも遅いが早めに寝ても変わらず、睡眠時間がいたずらに延びるのみになっている。でもこうしていると生活のリズムがだんだんズレ込んできているんだろうな、とも思える。/自分はなにかを完遂するということがめったにない。計画性の欠如。計画を立てた方がいい。それもある。が、自分の選んだ方法はそれではなかった。ムダなことをしないように。自分の状況に常に気を配る。そういうことだった。まあ、計画を立てるということは自分の状況に常に気を配ることにもなるんだったな。やっぱりな、計画でも立ててみようかな。でも計画を守るというところに既に自律心が求められてるんだよな。あらゆる方向から攻撃を仕掛けろ、ということか。前回言ったような“閉じた構図”をいい方向に適用できれば。
 この生活のリズムのズレについて、要はその矯正を図れ、って話でしかなく、なにか考えた(考えるポーズをした)ところで何かが見えてくるわけではない。見えたらあとは行動あるのみで、結局は自分が動くか、動かないか、という二択に終始する。あ。というか、頭のいい奴は動いて、頭の悪い奴は動かない。そのくらいの明快な話なんだろうと思う。動けばなにかしら見えてくるし、動かなければこの連続する変化のない日常に運ばれていくだけ。それが分かっていつつ動けないのは、じゃー俺は頭の悪い奴なんじゃん。正解です。まあ頭の悪いことは認めるにせよ、そうしてボードゲームのコマを進めてみると、ここに新しい二択が現れてくる。すなわち、開き直って変化のない日常を謳歌するか、頭の悪いなりにどうにか頭が良くなろうと努力するか。そしてもちろん、自分は後者を選ぶだろう。これでもう一コマ進んだ。まあ、滑稽なこと、頭の悪い奴は頭の悪いゆえに頭の悪い選択肢を選択するのだなという声も聞こえるが、でもまだあっち側に行くには早いかなーと思うので。とりあえず、そうと決まれば無駄に文章を書いている場合でもないぞ。
 さきほどから「頭が良い」「頭が悪い」の滅法乱暴な二文法を使っていたが、ここに表れているのは楡のなかの「頭がいい」「頭がわるい」の言葉の定義でしかない。頭のよさなんてのは相対的なものだと思っているが、でも現状に不満を感じることが多いので、自分の性質を「頭がわるい」方におく。明日はどうなる。寝る。おやすみなさい。