好きなだけ眠ったり、仮眠から覚めたりすると十中八九アタマがぐらぐらして世界に対する居心地の悪さに見舞われるので、いっそ眠らずに生きていけたら楽なのに……などと非常にナメたことを呟いている昨今、みなさまお元気でしょうか? 僕は僕なりに大学生っぽい生活を送っているように見えます。大学生ちゅうか、文系大学生。わかりますね。そんな調子で、文系とてさほどヒマでねえぜ……を口癖にしていた those days は何処へ、いまは「ああ今日もまたろくに勉強しなかった」と思いつつ「明日がんばろう」と布団に這入る these days を過ごしています、みなさまお元気でしょうか? こんなんじゃいけないわ。そうして「こんなんじゃいけないわ」と言っているだけでは何も進まぬ、これを書き終え次第とりあえず机にガッシャーーンと結合してしまうが唯一の手であるは高校時代を経て浪人生の頃に何度となく唱えた「真理」であり、であるから問題は疑いなくそれを“実行できるか”に集約されてしまうわけですが、結局は意思と行動の間隙を埋める手立ても見当たらず、よーするに多少の飛躍が必要なんだろーなー、ということになりつつある。要は気持ちの問題であって、気持ちは環境の問題で、だから個人の一存で決めることのできることなんぞひとっつもない! とは思うんだけど、んなこと漏らしていても現実的には意味ないのでやっぱりガッシャーーンと机に結合、を試みるしかないようにも思われるのです。
 ワードサラダというものが巷に認知されているらしい。それは要するに例えば「おおよそ吸収済みの鷹の爪を耳と笹で追い込んで儘ならぬ金庫を揚子江に推し進める」の如き(常識的に見て)意味を為さない文章、コトバをサラダの如く密接な連関なく取り合わせたウェブページを用意し、各種ロボット検索エンジンに拾ってもらい、不特定多数の利用者をこれにアクセスせしめることで何かよからぬ事を行う、的な、何か (something) である様子ですが、んーー、まあ何のことはない、僕は現代に於いてワードサラダと呼ばれるような出鱈目文章を(たまに)書くのが好きであり、たとえば例が古くて申し訳ないのですが妄誕F2006年11月の5日付の日記などがそれであります。近頃はこのような文章は書いておりません(名残は日付欄の文字列ですかね)が、機会さえあればまた書いてやろうとは思っています。が、ここにきてワードサラダ概念の登場。戦慄でした。僕の書いた出鱈目文章が社会的害悪と認定されかねないのではないか? これは表現の自由にかかわる問題です(最近の口癖)。どうすりゃいいんでしょうね。書けばいいんでしょうかね?
 あとこのサイトにおける予定された活動が増えつつ溜め重なりつつあるので、少しずつ確実に実行し消化していきたいとは思いますが、……。