twitter止めました

 どうもこんにちはmisunderstanding楡です、こんにちは。twitterでの活動を停止しました。それは風呂場で決議されました。風呂場で、風呂を洗う際に決議されたことであり、決議なり決心というものは古今東西だれでも風呂場であるとか台所であるとか、日常の何気ない場面においてなされるものであると考えます。そこには一種静かなドラマチックな風が吹きますが、それは実際に起こっていることだから共感を引き起こすのか、さほど一般的でない場面を「ドラマチック」に当てはめて一般的であるかのように感ずるのか、定かではありません。それでtwitter止めたよとの事でしたが、理由といえば要するにtwitterへの興味がすでに失せていたからに他なりません。他ならないと思います。恐らくそうです。内省によれば、そうです。直接の原因はそれだということは言えます。それで、twitterへの興味が失せていたとは即ち他人の思いつきなんぞ知ったことじゃねえという気持ちが自分のなかで明確になってきている、というかここ数十分でインスタントに形成された意識なのです。一体他人の思いつきに幾らの価値があろうか……と考えたとき、自分の心には「価値などない」という文字が浮き出ます。時期によっては「価値などない。しかし、もっと大事なものがその中にある!」などと言いだすところではありますが、まあ〜要するに興味なくしました、ということに過ぎません。特にtwitterアイデンティティを預けていたわけでもないので、それであまり困ることもありません。
 ……うーんとまあ要するにその、「俺はやはり日記的人間なんだなあ」というたわけた自意識の発露への志向性の型抜きであって、否定によってそれ以外のものを間接的に指定するやり口であって、つまりは日記的人間なる自分のちいさなアイデンティティを強調すべくこんなぐだぐだとtwitterやめたよtwitterやめたよと触れまわっているに過ぎない。いや、別にそういうわけでもありませんが、そういう気分もあるよねーという。ことですね。へええ。