暇をめっけては日記を書くようにはしてるんですけどね……、どうなんでしょう。「どうなんでしょう」って、考える責任を相手に丸投げするような発言はこちらとしてもあまりしたくはないのですが……しかしそうせざるを得ない現状というのがここにあるのも事実であり……であるから言葉を受け取る側であるあなたとしてもその私の意図を汲み取って、今回のところは大目に見てもらって考える責任をすべて受けていただきたいと……そう思う次第なのでありますが……解っていただけないでしょうか、sir……聞いておりますでしょうか、sir……hey sir……hey sir……応答せよ……応答せよ……聞いてください、ドアを閉めるときは上歯茎と口蓋との間に舌を入れておくと悪い霊がつかないのだそうですよ。ぬへへへ。ということでこんばんは。楡です。楡です楡です。以前、今どき日記中に名乗るなんて珍しいなァというコメントをいただいたことがあって、それを僕は未だに忘れておらぬのですけども、それで一時期はそれを意識して名乗るのをやめたり敢えて名乗ったり、いかんなく自意識を発揮していたわけですけど、今となってはどうでもいいですねー。ああ、いま「この日記自体がどうでもいいよ」と、心のなかのステレオタイプがツッコんでいました。だが意義などが何であろう! われわれは何かの役に立つために日記を書いているのか? いったい、ウェブ上に転がる幾多の文章が、何かの役に立ったことが、一度でもあっただろうか? 考えてみてほしい。胸に手を当て、瞳を閉ざし、心を虚にして、おのずと答えが立ちあらわれてくるのを待つがいい。正しいことはまた、間違ってもいる。間違っていることは、ただ期待に胸をふくらますのみだ。われわれの言いたいことはひとつ……ただひとつ、見えないものを見ようとする努力を怠ってはならない。テルミーテンプゥーラー♪ よろしい。されば雌雄を決するときが来た。月極を「げっきょく」と読むことは結局のところ、社会になんら悪影響を及ぼさないことは明らかである。科学は統計学に過ぎない。よろしい。統計学統計学であり、統計について研究する学問である。他方で科学は統計学を利用することはあれど、統計学そのものであるということはない。科学⊃統計学であることは考えられても、科学=統計学にはならない。いや、そんなことは誰しも分かっていることだ。要するに、単に「科学は統計に過ぎない」と言えばよいところを人は「統計“学”に過ぎない」と語ってしまうのはなぜか、ということである。レトリック。よろしい。おそらくそれはレトリックであろう。しかしそれはいかなるレトリックであるのか? ドイツ語を勉強しているので Wassr をヴァッサーと読んでしまうんですよねー。たとえば、「ー」と「〜」を使い分けている人というのはどの程度の割合でいるのか、なー、とは書くたびに思う。あとついつい「〜したりする」という言い回しを使いがちなのだが、これは婉曲であって単なるアイマイなJAPANの私ということに過ぎないんでしょうか?!(涙目で詰め寄って) そうそういえば、記号の使い方や表記の約束事が、いろいろと文章を書いてきたわりには一向に安定する兆を見せないので、ここらでいったん原則を設定して、そこから洗練させていこうとかなんか考えてその原則の中身までいろいろと考えておったのですけどはてなダイアリーの編集欄がだいぶいいあんばいに埋まってきたのでここらで今日は終わりとします。