ここ数分で、日記を書こうという気が失せてしまったのですけどこんにちは。なんか楡です。「〜のですけど」あるいは「〜のだけど」という言葉遣いには居心地が悪く感じますが、より直接的に言えば薄い、いわれのない嫌悪感を覚えるのですが、それならなぜ自分で進んで使うのか、という問いは当然出てくるわけで、いや「進んで」使ってるわけじゃないんだけど、だから要するにアウッ!! すいません取り乱しました大変失礼いたしました。だから要するに、より適切な表現を他に思いつかなかったから、あまり気が進まなかったにせよその時点での最良の選択を選択したであるというわけなんでスが、今度は、そうすると、「最良の選択」と言うけれど、本当はもっと適切な選択肢というのを時間をかけてあぶり出すこともできたのではないか、自分に居心地の悪い言葉遣いをしたのはひとえに自分の至らなさに因るのではないか? ジョーよ?! という、あれなんですよね。いつものあれが。
 まあでも、こうして意味もなく意義もなく、なんだかんだと言葉と論理をつないでいくことというのは、無意味であるにせよ心の慰みになりますナ。文章を書くというのはいいことだねえ。などと、少ししみじみと思いもするのですね。
 自宅浪人という名の引きこもり生活を脱し大学に入ると、いろいろな現実的物事に触れる機会も増えるわけですけど、そのなかで気づくこともいろいろとあるわけです。具体的には言わんが、その世間のひとびとが謂うような意味のこともなんとなーく分かるような気がすることも増えてきている今日&この頃なのですイイマスカ錯綜として読み辛いうえ抽象的というか具体物を故意にぼやかしているのが透けて見えるような文章に読者の眼と脳裏に映っているかどうかは私の保証の限りではありませんが、今日はアレでアレであるので思いっきりぼかして書きます。いや。あの、書き手が「今日は特別に……」などと言っている場合はそのたいがいが“物事を包み隠さずありのままに記す”、すなわち具体性のパレード風景な内容を呈するとかそういうイメージがあるのですが、僕の場合はその逆か。逆ヴェクトルか*1。いやいやそれは少し反省してみると違っていて、要するに僕はそれほど自暴自棄な心情には至っていない。ただ、現状時間多少アプセットに生きているため、いわゆる的にザシザシと言葉を弄びつつ従来行っていたそれを改めて利用しようという試みに近いものであると思います。自分のことさえ断言できないなんて! ステキ! とかいうふうに逆説的表現はちょうど逆接的表現から接続詞を引っこ抜いたものに過ぎないんだYOという仮説を立てもしてみましたが、だんだんとここでフェードアウトに消え去りはし得ず、いつもの如くおやすみを宣言しつつこの日記を終わりたいと思います。ばいばい。というのはやや優等生的というか猫ッ被りらしき影が見えるんだよな!

*1:と言うと大きさも同じでなければなりませんが……