「書くことがない」からはじまる日記

 ひさびさに .txt ファイルからはじめてみる。つまりはてなの「日記を書く」欄に直接書き込まないということですよ。と、始めてみたはいいが書くことがない。……ああ、書くことがない、かあ。「妄誕F」からの伝統として、「書くことがない」からはじまる僕の日記でした。それにしても、書くことがないのになにか書いているのはなぜだろう? 矛盾しているようにも見えるが、しかし、この手の逆説的表現というのは、ふたつの言葉の階層をずらして使っているから成立するのではないかな。この場合で言えば、ここでの「書くことがない」と「書いている」というのは意味のレベルが異なる。だからべつに矛盾してはいない。いわゆるメタ視点というのでしょうか、まあ早い話、「『書くことがない』を書いている」わけで、それはべつにとやかく言いたてるほどのことはない。だいたい、こういう逆説的な言葉を取り出して、なにか発見したように語るのは、実は言葉遊びに過ぎないんじゃないか、とよく思う。ただ面白がるぶんには構わないんだけど。
 あと。 3 月に入ってから生涯で最も遅くまで起きていたり、最も遅くに起きたり、ということが生じている。昼夜逆転がはじまりつつあるのです。まさかこの僕が午後まで寝ていることになるとは……、しかし、もはや自己嫌悪すら覚えない。どうしてしまったのか。いや、どうしたもこうしたもなく、単に“慣れて”しまったのだろう! 堕落はいつでも緩やかに忍びこんでくる。もう、無理やりにでも早めに布団に入るしかない。また、一日が短いように感じられる。人は年をとるとこのような症状が現れるといいますが、それは老いによる身体的なものではなく、ただただ単調な生活が、ひとの脳を時間感覚の省略へと結びつけるのだと思う。新鮮なことをせねばなりません。そう、だから、僕が大学に入れば、一日は長く感じられるだろうと期待している。が、自分の力で一日を長く感じるように仕向けることもやってみたい。それにはやはり、「本気で」生きる、ということが必要になってくるのだろうな。んが。
 さらに言い忘れていたが、今日は不審なほど天気がいい。太陽が明るすぎて、空が白っぽく見えるほどだ。本格的に春の到来を見て、え、マジ、嘘だろ……という気もしている。どうも嘘臭いというか、嘘であってほしいというか。嫌いな季節ではないのだが、それにしても――。