ううむ

 新聞を読むのもなんだか面倒くさく感じられてしまう僕に何ができようか?
  11 時半頃起床。カーテンを開けると、そこは真昼間だった。ちなみに寝たのは午前 2 時過ぎで、つまり 9 時間ほど眠っていることになる。 9 時間は適度な睡眠時間だという話も耳にしたことがあるので、それ自体はあまり咎められることでないように判断される。しかし、ウサギとカメのウサギの如く勝ち誇った顔をして、ずうっと前からカーテンを叩いていた朝日を見るにつけ、どうにも俺は悪いことをしてしまったとの気がしてくる。要するに「遅寝遅起き」ということであり、これが例えば午後 9 時就寝、午前 6 時起床などであれば胸を張って暮らせるに違いない。缶ジュースを買うにせよ、誰かが見ているのではないかと変な気を遣う必要もないのだ。そこに理屈など――おそらくは――なく、ただ自分が早寝早起きは道徳的によいものであると認めていて、しかも、道徳的によいことをしている人間はすこしも良心の不健康な呵責に病むことなく、明るく暮らしてゆけると信じているだけだ。
 文体変えます。タイトルも変えたい。「楡のニート生活」に。いやいや嘘だ。撤回する。それは明るく健全な生活を送っている人間にも、本物のニートにも、ひとしく失礼なことではないか? 楡は楡なのだ。いや、ネット上の仮人格である楡ではなく、僕の本名、××××だ。いやむしろ、僕という僕に名前などないのではないか、いやさらに言えば、僕などという一般的な一人称を使うのさえ、この自分というやつを指し示すのには余計なものが多すぎる。何の話だっけ? そもそも「○○ということを言う自分は△△に失礼だ」と反省しているフリを見せること自体がコレ、批判をうまくかわそうとする小賢しい手口なのであり、……と、これは“自己批判をする自分”を自己批判しているわけで、結局はどこまで潜りこんでも僕のある面が絶対的に劣っているという誹りは免れえない。だから言っただろう! 明るく暮らすには道徳的に正しいと(自分に)思われることを実行する、つまり「行動を変える」しかないのだと!
 しかしなぜこう劣等感全開というか、だめな自分展覧会というか、いわゆる自虐系の日記を書いているのかな? 自虐系ってもう流行んないでしょう。今は自己の内部にずぶずぶ落ちてゆくよりも、外界に向かって solution を提示する時代だ。その意味ではいい時代になったのかも知んないけど? ん?
 あと最近飲んだもの:

 左側はラッキーサイダーサントリー)。去年の夏ですかね、これ出たのが。未だに売ってる自販機を見つけたので、今日飲みました。当時は「けっこう普通だな」と思った記憶があるんですが、今飲んでみるとなかなかいい。フルーツが云々と言っているのでドクターペッパーを想起しましたが、そのつもりで飲んでみると確かに「弱いドクターペッパー」のような感じもします。と言ったらドクターペッパー飲みたくなってきた。まあでも飲みやすいです。もうちょっと残っててもよかったんじゃないかなと思う。/中央はカナダドライ サクラミスト(コカコーラ)。カナダドライですが特にジンジャーエールと関係はないみたいです。サクラっつうことで季節に合わせたアレなのでしょうが、確かに桜の風味がして(でも梅ガムに近い感じもする;僕の舌がだめなのか)、なかなか楽しめます。/右側は復刻堂 ソーダ水〈ブルーハワイ風味〉ダイドー)。 2 年くらい前、ブルーハワイのついてない無印のソーダ水があって、青色1号全開の色彩といい、薬っぽい味わいといい、僕はこれを気に入っていたのですが(それにしても、これではドラッグ狂いと大差ないのではないか……)、ほどなく市場から姿を消してしまいました。それで、この間これを見かけて "Sodasui strikes back!" と呼吸を荒くしたのでした。しかし味はといえば、なんだろう、ソーダ水とブルーハワイの相克と言いますか、分離でも同居でも打ち消し合いでも、ましてやハーモニーでもなく、なにか不穏なんですよね。「おいしい」「まずい」の二項対立に当てはめられないなにか。飲む人の心に爪痕を残していく文学的ドリンク。文章がいまいち落ち着かないまま終わります。