世界は思っているよりもフクザツでフクザツでフクザツなのよ

 ども。投げやり気味のタイトルではじまりました楡男&楡男ですばーろー。記事タイトルに、特に文になっているタイトルには句点(マル)をつけたくなる病の発症。つまり、「世界は思っているよりもフクザツでフクザツでフクザツなのよ。」というタイトルとして投稿したいナ、と感ずることがよくあって、であるにもかかわらず読者である僕としてはそのような、句点をつけたタイトルが嫌いだというアンビバレント乃至ジレンマとでも言いますか、何故かしら僕はそういうものが嫌いで、「冷奴にはネギとかつおぶしが必要不可欠だ。あと醤油も。」とか「id:***さん、僕はその手には乗らない。」とか、咄嗟に思いつけたのでチャランポランな内容ですが、そういったタイトルを見るにつけバカ野郎この! などと呟いてしまうことがしばしば、で! あるのに! 僕はこうして積極的にタイトルに句点を、マルをつけたがる。困ったものです。(結論ナシ)
 ところで試験前日なのね。第二志望くらい。前日なのでこんなザマをさらしているわけですが、まあ順当に考えて前日は前日らしい学習を為すべきだ。聞いてるか自分よ。過去問を解くのさ。さ。さ。さ。
 フクザツでフクザツでフクザツなのだと言ったはいいが、実際のところ、これが正しい表現かはわからない。ただいずれにせよこの主観的事実が僕の精神状態に依拠しているとは言えて、僕が特定の精神状態にあることで世界のフクザツでフクザツでフクザツ性をぼんやり捉えることに成功しているのか、僕が特定の精神状態にあることで世界がフクザツでフクザツでフクザツであると錯覚しているか、おそらくこのどちらかだ。ともかくそう感じているのだから僕にとってはもはや「そう」なのだ! と言いきってしまえば……楽だ、とかは思わない。思考に近い思考停止というか。この考え方にもどこかに検討の余地はあるはずで、たぶん「感じているものこそ真実」というのは答えではない。つまり答えらしきものを見つけて安心して「ここで行き止まり」と決めこんでしまうことが思考停止に繋がっているのだろ。
 ちかごろ益益「表面のあり方」の重要性を痛感していて、それはたとえばページデザインとか文体とかパソコンを据える位置とかちゃんと机に向って勉強するとか、そういうことなのですけども、そういう真実(らしきもの)は僕にとってやや苦痛だ。だってそうじゃん、辛い境遇でも精神が確かであれば大丈夫! と思っていたら、辛い境遇が精神を擦り減らしてしまうことが分かってきたわけだから。しかしつまりそれは擦り減ってしまう程度の強度だったのではないか、というのも依然手放しがたいが、残念ながら少なくとも僕自身は、そしてこの世の多くの人びとも、さほど強靭な精神を兼ね備えてはいないのだろうと思う。だからまあ妥協というか、精神も鍛えつつ、外側の整備も怠れないのだろう、と考えておく。
 あと、「自己保身のためだけに何かを言う/言わずにおく」というのは極力ヤメにしたい。