とりとめのない。当たり前だ。

 たとえば当サイトで度たび行っているように、箇条書きで別べつの話題を別べつにして扱うのはどうなのか、とはたまに思う。裏返せば、別べつの話題でも一緒くたに、記号的区分けを設けずに続けて書ききってしまうべきではないのか、という気分が長いこと僕の意識の底を支配している。「妄誕F」……いや昔の話ばかりして心に悪いんですけど、「妄誕F」ではわりとそういう試みを実践していて、というか区切るの面倒なのでそのまま全部つないで書いちゃっている、というのが真実に近いんだが、でもそれこそが日記だよ! と当時はわりと本気で思っていた――。読みづらくても、いや、読みづらいからこそ、日記が日記のままでありえるのだと、なんか、そんなことを思っていたようだ。その気分は今でも体の中に残っていて、時どきこうして、折にふれて、吐き出される。……なんて言うと毎度毎度昔の話ばかりして! 今を見据えなさいよ、という話になるわけだが、昔、昔というかなんというか、生きた化石というか、客観的にみた「昔のこと」が、本人にとっては現在進行的なものとして生きているということがある。僕にとっての「日記サイト」、それもテキストサイトというものと併存(あるいは派生、とか、影響)してきたそれ、という概念がそれで、――というか突然なにを言いだしているのかといえば、一昨日かな、あるとき「そもそも横書きがいけないのではないか」と直感して、あ、 WW 問題の話です。僕がウェブ上の文章をすんなり読めなくなっているというやつ。それで直感して、いくつかの日記を Microsoft Word に突っ込んで縦書きに置き換えて印刷して読んだ、ことがありました。これは印刷したのも奏功だったかもしれない。紙媒体に写したことで寝っ転がって relaxed な状態で読むことができ、よく楽しむことができました。文章があちこち立ちまわった挙句「ホホー、こんなふうに着地するのかあ」という刺激を久し振りに味わうことができた。ただし“縦書き化”と“印刷”の二つの策を同時実行した(また「特別なことをしている」意識も加担していたはずだ)ので、各策の個別な分析はできなかった。それにしても「横書きがいけない」だなんて、かつての自分との隔絶だなあ。一年ちょっと前といえば、高校の文化祭のときに投稿した小説(あれは英断だった)が横書きだぞこれオイと図書室の司書さんに顔を顰められて、その誌の編集後記にも「今年は横書きの作品ばかりでした。畜生」というようなことが書いてあって、えー、ダメかなぁ、てェか今さら縦書きにこだわるなんてブンガク主義が過ぎるんじゃないの、などと思っていたのに。てかまた昔の話ですかッ。いけない。現実逃避だかなんだかはワカラニイが、いけない。さてさて、ここで「俺は何を書いているんだ」という言葉が脳裏をよぎる。それを見やり、フ……。まあ、隠れるなよ。答えてやろう。何を書いているか、だって? わからないよ。“わ” “か” “ら” “な” “い”んだよ! いや何かと言えばまた「わからない」 turn に来ているらしくて、人間の行動には論理的根拠のつけがたいものが往々にしてあるんだ……と何度か感じている(がそれは思考の怠慢に過ぎない気もしている)。さて全く話を転換しますが新しいイヤホンを買いました今日。そうそう、受験前なのに! 何を! と憤慨する向きもありましょうし憤慨されたならば僕はひたすらに平謝るしかなさそうではありますが、でも本音を言えば「受験前だからこそ」、なんだよなあ。すなわち僕が今まで使ってきた iPod 付属のそれというのがまあ、音が漏れるのでして、えっ、今になって気づいたの、に、楡くん……ということでもあるが今気づいた! なんかつねづねアヤシイとは思っていたがふと思い立ち音楽を流したまま耳を近付けたり、角度を変えたり、物体に押しつけてみたり、あれこれ数分の検査を経て疑いは確信へと変わった! そう、漏れているよ。音が。ということは結構な音量で聴いていたアレやコレは周知されてい、僕の前を不審な顔して通り過ぎていった人たちの関心の先は僕の容姿とか挙動とか「もしかしたら知り合いかも」という疑いとかではなくただひとつ、イヤホーンから音が漏れているよ Hey! ということだったのかもしれない……(後悔)。それに近頃はイヤホンと皮膚との接触部のゴム素材が摩耗して脱落し、音漏れの程度は加速するわズレて落ちやすくなるわで困りものなのであった。ここまでくれば買い替えてもいい頃と思う。いや、完全にブッ壊れてから、という向きもあろうが、でも音が漏れて「ウゼえ」と思われるのはベンサム主義たる(←このサイトで二回目)僕としては避けねばならぬ事態でして……。と、そんなノッピキならない建前を設けて近所のコジマに至ったわけです。続きは気が向いたら書く。 (2009.1.29)

 一向に気が向かない。 (2009.2.1)

 現実逃避として書く。ほんとは良くないだろうが、書く。いや……こんなところに意思をにじませてはいけない。うじうじ書きます。続き。そうしてコジマに至ったわたし。平日昼間からイヤホンを買いに来ていることを意識して引け目を感じつつ、 2 分ほど歩きまわってヘッドホン&イヤホンのコーナーを見つけ、ここ(「ヘッドホンスレ/低価格でナイスなイヤホン」)など参考にしてあらかじめ選んだ品を探す。ない。あれ、ないない、天下のコジマといえどもこの程度か、あ、これか。しかし比較的安いとはいえ 3,000 円の買い物、怖気づいた――あるいは勿体ぶった俺はさらなる店内の探索を(形だけ)行う。ふうん、こんな品があるのかあ――いや、実際は落ち着いてウィンドウショッピングを楽しむ余裕はなかった、コジマの店内には赤い装いの agent ら(店員)が巡回を続けていた、僕は今にも彼らが話しかけてくるのではないかと気が気でなく、パソコンやオーディオ、 CD 、 DVD 、電源コードなどを脇目に、一歩も立ち止まらずにずんずん進み続けたのだ。硬直した面持ちで。何故店員に話しかけられたくなかったか? それは恐怖に似た、もしくは恐怖そのものを抱えた感情だった。自宅浪人で(ただでさえ低い)対人スキルが落ちたからではない。いや、それも根本的な原因として数えることはできるが――つまり、わざわざ話しかけてくれた店員に「いや、見てるだけで……」とか「いや自分で探しますから」などと応対し冷淡に突き放すのが辛く思ったのだ。ただしそれは正しい態度ではないことにも思い当っている。平日昼間のヒマな(でなかったらすいません)店員に対しては、「いいイヤホンないですかねー」「音漏れしないのがいいんですけど」などと communication をはかるのが互いに happy になる道というものではなかったか。要は、こちらが心を開くか否か、であり、会話を楽しむ対人スキルの欠如はここに帰結する。ともかく「話しかけないでくれ」の気をめいっぱい放っていたからか、無事にヘッドホン&イヤホンコーナーに戻り、目当てのイヤホンを手にとり数分間パッケージと見つめあったのち会計へと運んだのだった。会計はあっけなかった。小銭が足りず、 5,000 円札を出して釣銭とレシートを受けとり、完了。そのまま帰宅した。続きはまた今度。 (2009.2.2)

 さあ、続きだ。続きだというか既にイヤホンを購入したところまで至っているわけで、これ以上何を書こうか、かつての私は何を書こうと知って「続きはまた今度」などと書いたのか、過去の俺は俺にあらず、人間うつりゆき責任生ぜず。何を言っているの? 実際、いやあ実際この話に「続き」なんてものはなさそうに見えるけど。ホラホラ現実的連続性つまりボクの生活はいまだ続いていることを鑑みれば、買って帰った→菓子を食べた→イヤホンを試した→勉強→……とかいう流れを記すことで「続き」となるのかな、とか思わんでもない、というかそれは思いません。だからこの話に続きはなくて、今から付記できるとすればさしずめエピローグ程度のものなのだ。関係ないが昨日の記事の解題をさせてください。解題は創作者がなしうる最も恥ずべき行為であるとの考え方もまたあるようですが解題を、自分語りをさせてください。よし。昨日の記事はタイトルなし、画質をいじくった写真が一枚、本文が一行きりの simple なものだった。……いいや。やっぱやめた。僕の日記は解説過剰になる(しかし実のところ何も解説できていないのでは……?)ことが常であるわけですけど、んん、まあ、一言っきりで能書きナシの日記を一度試してみたかっただけです。でもこればっか続けると日記サイトとしてはダメだろうな、という予感はしていて。まいっか。やる気ないのが明らかですがイヤホンの話に戻ろう。さきほど言ったエピローグである。今回買ったのは耳に挿しこむ、いわゆるカナル( canal :管。耳の管に入れるという意味らしい)型というやつで、この type の長所は密着しているがゆえに外がうるさくてもかまわず音楽が聞こえてくるところで、短所は密閉されているがゆえに外部の物音に対して鈍感になることと、これは cord の摩擦係数の仕業も多分にありましょうが cord が衣服などに擦れる音がゴソゴソと音楽に映りこんでくることです。ところで 1,000 円以下の可能な限り安価なものを求めず敢えて 3,000 円と、わりとお金をかけたのは、どう考えても「折角だから質のいいイヤホンを試してみたいな」という意識がはたらいていた、すなわち第一段で掲げた「ノッピキならない建前」一本の心でコジマに至ったとゆーのは嘘になるわけですが、使ってみるとこれは確かにいいなと思った。ベースの音もよく聞こえるしね。いや、実をいえば言語を以ては「ベースの音がよく聞こえる」ことしか指摘できないのですが、あれ以来音楽を聴く時間が増えていることを見ればやっぱり質が上がったんだと思う。じゃ、結局イカンじゃないか。受験前なのに。でまあ。まことにやる気なくてすいません。更新頻度が下がったのは(ようやく)まじめに勉強する気になったからだとご解釈ください。ああ大事なことを忘れていた、あと、キリンメッツは近年静かに自販機から消滅しつつあるドリンクで、炭酸×グレープフルーツ味という実にすばらしい(註:反語でない)組み合わせが成立している代物ですので、見つけたら飲んでみてください。業者のかたもメッツを撤去しないでください。 (2009.2.5)