特にないわけでもありませんが

 この記事は作者の踏み台と化したので、以下は閉じます。あんまりおもしろくないと思うので、なんか思うところある人だけ読んだらいいと思います。


 なんかアレだよもー。頭がぁー痛い。いやっ。うっすら痛い。大したものではないんだぁ。な。やだなー。こんな日記今から書いて投稿するようですよ。これを書いてる不甲斐ない受験生わ。頭の痛さは大したものではないな。視界のすみっこに、こー、床に置かれたビール瓶のように存在を主張しない程度の痛さ、ああー。あるいは砂糖の少ない砂糖水の甘みのようなメマイ。それじゃあ頭痛が快感のようではないか。でも快感ともとれる表現をしたということは実際これはある種の快感を伴うものなのではないか、と、思うんですけど今すこしまた痛くなった。パソコンなんか使うからだわ。このモニターから発せられる光を見てるとダメなんだーよな。ヤダなもう。勉強しなきゃいけないのに。ところでアンテナと同様、僕はブックマークという機能に対してどういう態度をとればよいのか、未だに決めかねているのですが、なぁんだろ、たとえばグッド記事を見つけた場合、ブックマークする、という行動をとりたくなる。これが人間として自然な欲求かどうかは考慮しないとして、だいたいブックマークするときは「のちにその記事を読み直すだろう」ことを念頭に置いて、かつてブックマーク活動を行っていたのですが、まあ、現実、じっさい、前の記事を読みなおすなんてこたあ滅多にないのよ。ないっすね。それは結局自分が怠惰なんじゃないか、というとこに帰結しますけど、とにかくまあ「読み直さない」という事実が厳然としてある。それを受け入れたとき、再読対象コレクションとしてのブックマークは否定されざるを得ない。こんな次第で僕はブックマーク活動を停止した。いやっ。まだ理由はある。もう一つ、ブックマークを公開するのってどうなの? と思ったこと。というのは、わざわざ僕の感性にキた記事コレクションを眺めて楽しむ人などあるのか、ということだ。それは……ない、とは言い切れないが、積極的に「ある」とは言い難い。似たようなもので好きなミュージシャンをいくつもいくつも並べるとか、見た夢の内容を書くとか、そういうものは、その面白さは畢竟自分にしかわからないのではないか、なんて思う。しかし、思う一方で、上記のようなものとか、それこそ他人のブックマーク内容を見て楽しんでいる自分というのも何度も経験している。……つまり、少なくとも今の僕ではブックマーク内容で勝負できるような視野や知見がないのだ、ということになろうか。全然「つまり」になってませんが。いやー。よくわからなくなってきた。ところでブックマークをやめた現在、のちのち読み直したい記事に出くわしたときはどうしているかというと、 HDD 内にテキストファイルで私用ブックマークを設けてそこにアドレスを張っ付けたり内容の要約を書いてみたりしてます。これはスッキリしていて案外いい。はてなブックマークは実は使いづらいんじゃん、と思う。タグとか、つけてみてもしっくりこないばかりだし。(ていうかなんかつまりお前の道具の使い方が下手ッくそであるに過ぎないんじゃないかな……)
 いやでも書く前から答えは出てるんだけどね。結局ブックマークってのはコミュニケーションツールなんだろう。郷に従えばそうなる。日記によって編者の人間性をある程度知っていてサブコンテンツ的に楽しめることはあっても、ブックマーク内容そのものが価値をもつ人なんてそうそういないだろうし。そうでしょ多分。ツウィッタァみたいなものじゃないの。嫌だよもうこんな日記。勉強するわよ。こんなの投稿してごめんなさい。ここで詫びても仕方ないか。