どうにかして / どうにかする

 んんとなんというか、近頃、いやはや近頃めっきり、勉強に身が入りませんで、それは根性が足りないとか、動機付けが弱いとか、無気力世代とか、ありますが、ならば僕は根性不足も動機薄弱も無気力世代も甘受しよう、それよりも大事なのは今、俺が、勉強を思うように進められずにいることで、つまりあのう、なぜここで書いているかといえば、なんらか日記を書いていくことでたとえば、精神の安定、とか、いやいま僕の精神が不安定かどうかは判らないのですが、ある種の平衡の保存、って、今「バランスをとる」をバランス、という言葉を使わずに表現しようとした結末としての平衡の保存、なんですけど、ともあれ日記を書くことで毎日をスッキリ過ごすことができるならば、それを実行しない手はないわけです。 OK 。ここまでの一文がやたらめたら長かったのは遊びではない。文章修辞ではない。ふつうに考えながら書いていたらこういうふうになるのであってだな。考えながら書いたら、思考の過程を素直に文章に写すとなれば、やっぱ、こうなると思うんだけど、ただ自然にそうなっているうちはいいんだが、ああ読点多いな、と気づいたとき、わたしの精神にその、バイアス、つうか、ゆがみというか、つまり読点ばかりの文章おもしれえ、という気分が生じてこれが推進力としてはたらいてしまうのでして、ここから全く関係ねえのだが、ほら今も「、」は読点だよな、句点じゃないよな、との疑念が生じたので Wikipedia で調べて、というより google で検索すると Wikipedia が真っ先に出てくるわけですが、それにしてもパソコンから離れずに調べものができる(パソコンは調べものをする機械でもあるので、この書き方はヘンですが、わざわざ辞書を引かずとも検索すればいいのよ、という意味で)というのは便利な一方、なんかなー、という感じがするのも払拭しがたいところで、ものやことを、あるいはいろんな役目を、ことごとく統合してしまう試みってのは基本的に僕としては違和感を覚える、もっと言ってしまえば、そういう便利さ、というのは、この世界には馴染まないんじゃないか、と思っていて、そういう意味で Wikipedia なんかもなくなって欲しい、と密かに思っているのは密かな秘めごとだったはずなのに、ここへきてヘラヘラとしゃべってしまっている。どうにも話が逸れまくってしまっている。今日は書ける日か。おいおいで話を戻すと、やはり書く、ということで、「日記を書く」ということを行うことで、なにか僕の生活がスッキリいくのならば、それは利用するに吝かでない、いや、利用すべきだろう、ということで、こう書いてみている次第だったのですが、それであまりに時間を食ってしまえば本末転倒というやつで、ありますので、早々に切り上げてしまおう、と思っていたのだが書いてみたら書けるわ書けるわで、いやそれほど書けているように見えないかもしれませんが、今日は書けるほうですね。書けるときに書くべきだし、とモニターを眺めれば「書」という字がひどい頻度で登場しているのを見て、もう 20 分くらい経ったのです。いやー。どうにかします。