午後ということ

 やっぱ書くの好きだなあ。さきほどは目下編集中のテキストをひとまず書き上げたかたちで、一定の満足を得ると同時に、まだ完成せんよ、との気が抜けぬ言葉が浮かんだり、それよか勉強すれ、との至極真当の自意識が語りかけたり、でもそれはそれで論文書くときとか、のちのち役立つんじゃん、と反撃を仕掛けてみると、かといって今それをやるべきなのかい? と勝ち誇った顔で、自意識は言う。
 わかってるよ。
 わかってるって? 何をわかっているというのか。行動が伴ってはじめて理解なんじゃないのか? これじゃあ「今やろうと思ってたのに!」と連日繰り返す小学生となんら変わりない。君は一歩たりとも進歩していない。
 一歩ねえ。あるいはそうかも知れん。ところで「一歩たりとも進歩」は重複表現じゃないの。どうでもいいけど。でもなあ、一歩進んでないからってそれを直ちに「まったく進んでいない」と断定するのはちと早計だと思うね。たとえばカタツムリの一歩はどこにある? 車の一歩は? なにも歩むだけが進む手段ではないし、僕ははっきり歩いているよ。ただ、歩みがあまりに遅すぎて、上げた足がまだ地に着いていないだけだ。
 ふうん? あまりに遅いのは認めるわけだ。いいか、「あまりに遅い」のは止まっているのと同じさ。
 君にとってはね。
 屁理屈だな。それだとのちのち痛い目を見るから言っているのに。というか、君はもっと速く歩けるはずだが。結局は怠慢なんじゃないのかい。
 それはそうだが。
 「それはそうだが」?
 それはそうだ……としか言えない。はぁー。勉強するか。
 ……と。やっぱりそういうことだ。何かっつうと、立派な人の日記とか読んでいるとチト辛いよなあ、といういつもの。