マイ劣等感考

 Hello. 風呂上がりにふらりと俺の personal computer をつけてしまった……と打ち込んで、スペルは合ってるかしら、いやリアルな英語ではスペルではなくスペリング、いやさらに万全を期すならば spelling であり、あれっ、この "spelling" のスペルは合ってるかしら、いや優しく語るならばこれは断じて「スペリング」でありスペルにあらず、とか無駄なことを考えている楡です。そうだ。楡です。だ。もはや僕の、この日記書いてる人のネット人格の名前は、ひらたく言うとペンネームは、楡、で、ある。楡ちゃん、であり、楡くん、であり、そのくせ両性具有ではなくて単なる男性である。「単なる」男性、というのは検討の余地ある書き方だが、つまり性的に特筆すべきことのない男性、ということである。楡という名前は北杜夫『楡家の人びと』からとったわけではないが、しかし楡と名乗るからにはいつか読んでみたいと思っている。またブログ名の「楡男」も安部公房箱男』からとったわけではない。しかし「××男」の語感に魅せられてしまったのは安部公房の仕業である。『飛ぶ男』や、……『棒になった男』や、……あれっ、意外と思い付かないな。「××男」関連でユニコーンもこの洗脳作業に加担している可能性があります。ある。ん。「『××男』関連って何」って? ユニコーンの楽曲『ペケペケ』のことを言っているのだ。「お墓まで一緒にペケペケ男」と歌う。ユニコーンもまた『働く男』『スターな男』『サマーな男』『与える男』『魚の脳を持つ男』などの楽曲タイトルにより、「××男」の語感で私を魅せたのだ、と言いたいのである。――とまあ、ええっと、まったく予期しないほどに文章を連ねてしまったので、ここからどう埋めあわせしたものか、どう弁解し、どう逆転を狙おうかと虎視tantanと機会を窺う、正にスベッたお笑い芸人の如き心境にあるとかないとか、それから、「虎視tantan」の tan は言うまでもなく tangent で、……とかやるとまた長くなるんだけど、要するに僕は限りなく内容の薄い事柄を連ねるのは得意です、ということのみが現出する。
 でだよ。タイトルのそれだよ。マイ劣等感考。あまり語感はよくない。いや、いや、語感などという副次的な要素ばかり気にしているからいつまで経っても本質にググッと迫れないのである。ともかくこれではいつまで経っても本題に入れないので、本題に入れるように、そして本題をスムーズに語るために、本題と関係ないことを切り離して、ぐっとこらえて、そうして書いていきたい。「いきたい」だけではなく、勿論そのつもりだ。無駄な箇所多すぎーっ。
 また改行しちゃったよ。そろそろほんとうに本題に入ろうと思うし、実際に入るが、入るぞ、よし入った。いま入る。どっちだ。もういいです。つまり格言にすると「僕は劣等感と優越感によって動いている」ということで、……いや、実はこれはあまり関係ないんです。ただ、表明してみたかった。はやく本題に入れよ。入った。でも、この格言は真実を語っていると思っていて、言いかえれば僕は劣等感というものに、けっこう、感情を振り回されています。劣等感が生じる対象は当然「優れた人」で、たとえば深い知見をもっていたり、本をたくさん読んでいたり、そんな人に対して僕は劣等感を覚えます。まことに勝手な話なんですが、あまつさえ一瞬「死にたい」なんて思ったりします。無論、この「死にたい」というのはモノ凄く軽い、それこそ、軽ぅ〜い「死にたい」であるので、その言葉の重み、ならびに重い言葉を関連させた「優れた人」に対して勝手だ、と言っているわけですが、しかし感じたことはそれが偽りないところです。どうも僕は優れた人を見ているとダメで、もう少し踏み込めば、努力型の優れた人を見ているとダメなようです。その優れようの後ろに、並大抵ならぬ努力が透けて見えてしまうともうダメ。結局のところ、僕が努力をしない人間なので、そういう人々と無限の隔絶を覚え、「わからない→恐怖」の原則から先の言葉が漏れたものと思われます。では、それを解消する方策はといえば、まず正直な意見として「自分も努力する」が挙げられましょう。たぶん、これで正解と思われます。ただ、それを認めきれない自分というのもあって、その言い分を聞けば、簡単にまとめて「それでは努力できない」というもの。これは一面、逃げでありますが、僕はここ3,4年のあいだにこの言い分に説得力を感じるようになってきています。まあ自分の言い分だからそれはそうなんだけど。やっぱり、努力する、と言っただけで努力することはむずかしい。これ、勉強しなさい! と頭ごなしに叱るのと同程度だと思うのです。命令するだけで言うことをきく、というのは背後に武力や権力やおこづかいが用意されている場合の話で、それらのアイテムを持ち合わせていない、ないし使いたくない場合にとる方策は、一般的には「勉強の意義を説く」、僕の場合は「努力の必要性を考える」ということです。でも(めんどくさくなってきた)、努力の必要性が分かっただけで努力するようになるならば、一日12時間程度勉強できているはずです。あるいは、努力の真の必要性などというものは、実際に努力をすることでしか理解しえないのかもしれません。ここでスタート地点が一挙に遠くなります。「努力することからはじめよう」と。これが難しいんだ。これを語るとあまりに長くなるのでやめますが、結論を言ってしまえば「努力している人は、それ相応の理由があるのだ」ということです。志望校に受からなきゃ殺されるとか、年収1200万以上じゃなきゃ彼女が結婚してくれないとか、生涯忘れられない恩師に出会ったとか、小さい頃から本ばっか読んでたからなぁとか、なにかしら環境的要因がある筈なのです……。いわば、僕と彼らとはスタート地点が違う。まずは、そのスタート地点に自力で辿り着くのだっ! がんばれ! なげえええっ。書きすぎて時間使いすぎた。念のため言っておくと勉強はしてます。どんどん勉強時間増やすぞー。