げへへへへへ

 あっ。勉強はしてるよ。してる。まだリハビリ中だけど。リハビリなんて甘ったれとるけど。まあ、まあまあ、そのココロは今からでもリハビリなんぞせずとも一念発起一日中勉強はできるだろ、という思いであるわけですが、でも、どうもちょいちょい休憩入れちゃうんだよね。僕はある時期から“暇”がなくなるのを極度に恐れていた男で、それが高校時代、帰宅部を選んだ理由の一つ(ではあるがクリティカル・リーズンではない)で、そんな弱い意識で選択したのが祟って云々かんぬんという語るは涙、聞くと時間の無駄になる話もありますが、その忙殺フォビアの性質の検討はまた今度。突然話かわります。僕はいま、さきほど、「わからない」感じにとらわれていた。わかるかな。この「わからない」感じ。そういえばこの感じというのはこれまた高校時代のある事件のあとに芽生えたのだと思いますが、その事件とやらに関してはもう永久に、僕が作家にでもなって自伝でも書くことにならない限りは語らないのでそれも道端に放っておいて、この「わからない」感じ。わからないんだよ。何がわからないの、と訊かれてもこればかりは名状しがたく学成りがたく、挙句に大学受験失敗となれば笑えない、俺どうすればいいの、イヤ、だから、ほんとうに言えることがなくって、まあ強いて言えば、世界がわからないよね。……いやっ違うかなあ。あんまり単純な問題に帰してしまいたくはないのだ。ん。もしかしたら、いや、おそらく高い確信度をもってこれは単純な問題だろうと予測できるけど、しかしあまり単純な言葉で表してしまうとなんともよくない。抽象的すぎるからさ。抽象的っていうか帰納的な言葉で語るのはやめたいのよ。このことに関しては。でも、するとどう語ればいいんか? という話になって、長い話になりそうだ。ともかくこういう感覚にとらわれていると、書くのやめようかな、とかいう意識がかすめたりするわけよ。当然やめないけど。やめないけどなんだろうねえ。わかんないな。まあこんな環境に何ヶ月もいればブキミな心境にとらわれるのも無理ナッシングってな具合なのでしょうが、でもこれはその、高校時代のあの事件の直後に生じたわけで、それは自宅浪人のせいではない。