なにこの部屋、雑記臭がするよ……

 ここ数日、遠く(註:電車を使えばどこでも「遠く」)に出掛けていて、また今後も出掛ける予定がありましてね。僕は基本として移動中に本を読んだり音楽を聴いたりということができない男で、それはまあひとえに「邪魔だから」という理由に発しているのですが(これも潔癖の一種かも知れん)、まあそれはそれとして要するに僕は鞄を除けば手ぶらで外出するわけです。そうすると、出掛ける、家を出て徒歩徒歩と歩いて、電車で黙黙として、目的地にて色いろと目的を果たしつつ徒歩徒歩しつつで、また電車、また徒歩、帰宅、という一連の行動には、iPod聴きながら歩いてたり文庫本に目を落として電車に乗っていたりする人びとと比べ、見かけ上それはもう圧倒的多量の“空白”が、腕まくってデフラグのしがいのあるスカスカ・オブ・ライフ加減が観測されるわけであります。傍から見ると「まあこの人は貴重な時間を無駄にしてしまっているよ」という感想をもたれるに違いない、少なくとも僕が見たらそう思うはずなのですが、真実はまあそうそう予想通りにはいきません。当然僕だって頭マッシロでつり革に掴まっているわけではなく、実は移動中ってのはまあいろいろと考えることが多いんですよね。普段の僕の半ひきこもり生活では行動は日日の routine に拘束され気ままに思考をめぐらせる余裕もきっかけもありませんから、その反動も手伝って、移動中というのは僕にとってものを考える絶好の環境であるのです。そういうわけで今日もなにやらいろいろ考えていたはずですが、肝心の(?)その内容はまったく記憶にありません。なぜかというと単純にその思考の内容があまりに他愛なさすぎるから、でしょう。そういう場合ってのはたいてい、わりとどうでもいいことばかり考えてます。まあ大事なことだったら環境をいとわず考えざるを得ませんから普段から考えてますし、この「移動中思考」において注目したいのはむしろその「他愛なさ」なのです。そういう他愛ないことをつらつら考える時間も大事だと思うのです。人間はロボットではないので緩急が必要なのだということでしょう。以上、だからどうということもないお話でした。ブログだとついつい結論まで考えてしまうな。


 ……てか言いたいことが全く言えてないのでせめて箇条書きにしてでも書き出して抵抗を図る。

  • たとえば僕の記事がブックマークされるに値する内容をもつそれであったとしても、記事のタイトルがこれではブックマーク遠慮されてしまうだろうなあ。タイトルに要旨を書かないと支障があるわけですね。ブログだけでもそうすべきでしょうか。僕自身は記事のタイトルで自分なりのユーモアを利かすというのは好きなのですが。あ、要旨を書きつつユーモアを利かせればいいのか(単純な真理)。
  • いまだにはてなスターに対する考えがかたまっていない、いやまあ実はぜんぜん考えていなかったのですが、でも態度はかたまりつつあって、よい記事を見たら積極的につけていこう、と思っています。ところが僕の悪いクセ、前前からのバッド・ネイチャーとして惰性というものが強いのでして、いままでスターを控えていたいきおいで、スターをつけはじめるタイミングというのかな、なにか頃合いみたいなものがわからなくて、足踏み、という状況にあります。まあなんというか「これが再出発だ……」みたいに捉えるからついつい行動のまえに考えてしまって問題なのでしょうね。やたらと意味づけしなくても、すべては遭遇だ、というように構えていればいいんだと思う。