疎外・連結・疎外

雑記ッつうか雑感だやな。数日溜まっていたものを。

  • 疎外

僕のアナザー・サイトであるところの「妄誕F」で何度か語っていたのですが、どうも僕は「リンク集」というものに対して、なにかしらの未練、捨て切れないものを抱えているようだ。その内訳は拙サイトの過去ログを探していただきたいのですが(ついでに言うとリンク集については「クマのプーさん Mugcup Collection」が熱く語っていて参考になります)、そういう個人的思いのあるリンク制に危機が訪れつつある(もしくは既に訪れている)ように思う。近年、日記系サイトのネットサーフを行っていると度々思うのが、「はてなダイアリーばっかだな」ということで、「とりあえず日記書くならはてなmixi」というような暗黙の了解が出来ているような気がしてならない。みんな、専らはてなで書いているのだ(斯く言う自分もそうであるわけで……)。そうすると次に何が起こるかというと、僕のつくるリンク集の行き先が九割方はてなとなってしまうのだ。当初は「時代の流れだな」などと考えて俯瞰していたのだが、なんだか次第に違和感を覚えはじめる。つまり、何か沖ノ鳥島から日本本土に接続しているような疎外感が*1。どうも、はてな領域が国と化して、その外にいる人間は容易に侵入することができないような抵抗感がある。そういうわけで、「妄誕F」という離島からはてなに繋げてもいいのだろうか、という葛藤を以って「リンク集」制度は危機を見ている。被害妄想ですけどね。

  • 連結

いわゆる「キーワードでつながる」ってやつである。僕がはてなダイアリーをはじめる前、いや、使い始めてからも長いこと、このコトバの意味するところが分かっていなかったように思う。何がキーワードでつながるだ、べらんめえ、と思っていたのである。だってそうさ、気になるCDのISBNを入力しても、「今日はこれ聴いた」といったような無生産な記事ばかりたち現れてきて、感想のひとつもつけてくれたらいいものを、はまぞうイメージだけ載せて澄ました顔でいるんだ。これで「つながる」と言うのなら、人と人との繋がりはなんて軽視されたものよのう、と。……しかし。最近になって事情は変わった。僕は読んだ本の感想を入力し、投稿する。そして、同じ本を読んだひとの感想を見つけ、ふむふむ成程、と楽しみ、そこからお気に入りのブログを仕入れているではないか。一体はてなの、はてな住民の、僕の、何が変わったのかよく分からないが、僕が「キーワードでつながる」ことを実感し、楽しみ、身体の一部が確実にはてな化しつつあるのは否定しがたい事実だ。

  • 疎外

しかるに僕は、まだしつこく疎外を感じている。そのひとつは、いくらキーワードでつながったとしても、その連結はキーワードすなわち同じ話題を介したものでしかなく、真の人と人とのふれあいは成立しないのだ、という気分から来ている、という論も捨てがたいが、僕の言いたいのはそういうことではない。つまり、どうも近年ニコニコ動画が台頭してきている、という単純かつ薄っぺらい疎外感である。キーワードでつながった綱の上を滑っていると様々のブログに出くわすわけだが、その中で頻繁に目にするのがニコニコ動画へのリンクだ。インターネットをそれなりにやっている人なら知っているとおり、ニコニコ動画を利用するには会員登録が必要だ。べつにこの登録制度を責める気はない(あちら側にも事情があるんだろうし。しかし何故に僕はこれほど強気なのか)のだが、しかし世間がニコニコ動画で盛り上がっているのに僕だけ門の外、というのは、これはまったく単純かつ薄っぺらい疎外感を覚えるのにはうってつけの状況だ。どうにも笑顔では生きづらい世の中である。ん。しかし考えても見ろ、僕ははてなダイアリーをはじめる際には会員登録をしたのではなかったか。ここで登録して、そこで登録できない理由はない。つまり、ニコニコ動画が見たいなら登録すればいいじゃーん、である。mixiのように招待者がいなければならないわけでもないんだし。ひとえに僕の怠惰が成した勝手な疎外感なのだった。ところが僕はさほどニコニコ動画を利用したいわけではない。ただ、なんか蚊帳の外って感じが不満だったのである。薄っぺらーい!


……以上! このように疎外だ、連結だ、疎外だと見てきたわけですが、分かってるとは思いますが僕は本気でこのコミュニケート状況を憂えているわけではなく、文章を綴ることを楽しんでいただけです。キーワードがうんたらかんたらよりも、このブログに読者がいることが、一番うれしいよ!(これってオチと見ていいのだろうか)
あ、あと、「連結」よりも「疎外」のほうが断然、書けてしまうのは、どうしようもねーなー俺、と思う。

*1:沖ノ鳥島が「妄誕F」があるサーバで、日本本土がはてなです