なんか書く

 それにしても、僕のパソコンの性能は悪い。どう悪いかといえば、たとえば立ち上げてしばらくは文字変換をするのに十数秒ためらう。なにもしてないのにブラウザが止まる。といったことです。コンピュータ自体は去年の夏に新品で購入したものなので、たぶん評判の悪いウィンドウズビスタという OS のほうに問題があるのだろうと見当をつけてはいますが。当分買い換える気配もありません。だからそれを確かめる術もありません。
 なんか書くって言ったのだが、実のところ、書きたいこと/書くべきこと/書けることはたくさんあって、何から書いたらいいか、何を書いたらいいか、ともかく全部を書ききることは体力的集中力的にむつかしいので、取捨選択しながら、少しだけ慎重に、書いていかなければならない。ところで、以前、ふだんは、「書くことがない」とつぶやきながらキーを叩いて日記を書いていたものだった。それは確かにそうだったのだ。毎日家と学校を往復する日々、学校で何か大きな事件があるわけでもない、いくつか心に引っかかることはあっても、それは日記に書きしるすことではなかった。今でも、程度の差はあれ、それと同じ状況を生活しているんだと思う。べつに、日々がドラマに満ちているわけではないし、仮にそうだとしても、僕は日記というものはドラマを書きしるす場ではないと理解している。――でも、日々思うことはいろいろあるわけで、それは日記に書くのにふさわしい小さなエレメントが散らばっているわけで、僕はいまそれらについて書きしるそうとしている。――あの頃の僕と今の僕と何が違うかといえば、メモ帳を持ち歩いていること、である。もちろん昔は昔で、思うことはいろいろあった。むしろ、昔のほうが豊かにものを思っていたともいえる。ただ、それを逐一憶えていくすべを持たなかったのだ。大学に入ってしばらくしてから、僕はメモ帳を買い、持ち歩きはじめた。来る用事や調べておきたい本、その他気にかかることを記した。さいきんは特にメモの量が増えている。それは僕がすごくいろいろなことを考え、読み、知的にアクティヴな生活を送っていることを指し示すのではなく、一年間かかっても一つのメモ帳も消費できない知的水準ってどうなの、って思い始めたからだ。とにかく大学一年生が終わるまでにこのメモ帳をきれいに埋め尽くしてしまいたい、そう思って、積極的にメモしていくことにした。まず、以前に書いたことでも、それが完遂されていないのならば何度でも繰り返し登場させることにした。それは大事なことを忘れないためでもあるし、また、途中で書き忘れていくことを落としていくとより大事なものが浮かび上がって面白いだろうと理由づけた。それから、日々考えることども、その過程を書いていくことにした。この日記でつらつら右往左往しながらやっているようなことを、メモ帳の上でも行っているわけである。もちろんメモ程度なので、要点を示すにとどまるが、これもいいスペース消費になっている。
 一体何を書こうとしたのだったかな。要するに、メモ帳を導入したので日々のよしなしごとがほぼ悉く記録され、ほっとけば忘却の彼方へスロウアウトの事柄も残っていくので、そして僕はほっとけば大半の事柄をスロウアウトしてしまうので、こうして書き残していくと日記のネタには困んないなあ、そういうようなことを書こうとしていた。でもなんか回顧っぽくなって、自然な傾向として感傷っぽくなって、どこか語りが村上春樹じみてきて……のようになってしまいました。スイマセン。このどこが春樹なんだこの野朗、という向きもありましょうがそれは僕のなかでの春樹の語り像を言ってるのでそのように理解していただきたく思います。ほんとうは、いやほんとうはそのメモ帳に書きつけたよしなしごとお蔵出しコーナーに陥るつもりだったのですけども。仕方ありません。それではまた。