理解するということ

 私見では、拒否反応というものは未知のものに対してだけ生じる。だから、目をそむけたくなる物事に対しても、それがどういう次第を経て成り立ち、どのようにしてここに現れてきたかを考えれば、直視することができるかもしれない。たとえば吐瀉物を見ると自ずと吐気がしてくるけど、食べ物と飲み物が歯で咀嚼され飲み込まれて胃のなかで半ば溶かされ混ぜ合わされたものがなんかの拍子で体外に出たものだ……と考えればさほど気持悪くないのではないか。ごめんなさい気持悪かったですね。