少し早いですが

 戻りました。妄誕Fから。楡です。少し早いですが戻った理由は特にありません、むかしっから僕の行動に動機らしい動機なんてありません。日記で自分語りばかりする自分にたまにメンドクセェと思いますが、日記を書いてるみなさんにはどんどん自分語りしてほしく思います。「理由は特にありません」と言ったけれど、要するに、もうそろそろいいかな、という気分になったまでです。かつて一ヶ月間更新を控えたときは、規定期間を遵守することを重く見ていた、自律を大事にしそれを求めていたのですが、今回は趣向を変えてというか、ルールにはけっこう従順な私なので今度は自分の裁量でなにかと動いてみるほうが適かなーと思ったフシもあります。
 関係ありませんが、最近思ったことは、日記を書いてて気持ちがいいのは自分のふだん思っていることを言えたときだよねえ、ということです。やっぱりというか僕みたいなものは普段口をつぐんで生きているというか言う機会がないと言わない人間なので(あまりよくないけども)、随意に自己を吐きだせるツールすなわちインターネットであったりはてなダイアリーであったりというのは非常に重宝というか実際これは助かっているんだなァと思うのだけれども、その一方で上記の如きセリフが浮かんだということは近頃ではあまりホンネというか真に言いたいことが言えてはいないんではないかなーと思ったわけです。
 関係ないけれど、今日の妄誕Fの日記を転載しておく。

2009.10.20 世界の広さなど
 なにもしてないのに劣等感に苛まれるナァ……と思っていたら、なにもしてないゆえに劣等感に苛まれているんだった。よし。まだ俺は正気だ。
 でも、じゃあ俺はなにがしたいんだと問うと、よくわからん。探すか。

 単に授業に追われている日々だ。いや。勝手に勉強もしている。読書は捗っていないが、その立て直しは図っているところだ。サークルがつまんないわけではないし、それなりに学校生活を楽しめている。 しかし、 やはり人間というのは現状に不満を見出してしまう動物で……などと無意味に一般論を立てるまでもなく、やっぱりどこまでも劣等感を覚えてしまう対象というのがある。これは一方で自分がまだ何か本気出していないんだろというような思いもあるが、いつか本気出せんのかと自問すると今の僕はそれに肯いてやることができない。そういえば本気が出ないと感じたのは小学生のころ、何度目かの運動会だった云々。本気が出ないというよりは、完全燃焼しない、というほうが正確です。なんかこう、やりきったァァァという達成感を長いこと欠いている。それはもちろん打ち込む対象がねぇとか保身に走ってしまうとか説明は容易に考えられるけれども、そもそも完全燃焼したら死んでしまう、あるいはそこまでいかなくとも死に近い経験をすることになるわけで、つまり自分で限界を高く置いているわけで、だからまあともかく最高の充足感、みたいなものは得られないんだなあーと決め込んで暮らしている。本気は出せない(出しえない)、そのなかで、いかに最大限の利益を出すように行動するか、というのが近年の僕の生活改善のテーマになっているんだと思う。 …… 何の話だったっけ。劣等感ね。そうそう、だから、でも、本気出したからといってその劣等感は消えんのか、と考えてみるとこれもまた大いに疑問なんだよな。そうして追い付け追い越せ式で一喜一憂三歩進んで三歩下がるような感じよりも、むしろ、その劣等感を覚える相手をいつかまっすぐに見ることができるだろうか、という問いが先に思われた。その、劣等感をひさびさに体感したときに。ところで、でも、そのためにすることもやっぱり変わらず、前進漸進なんだよなあ。と。やっぱり最後は当たり前の結論に至る。