twitter使わない理由なんてわざわざ考えなきゃいけないのか

 僕の世界を丸ごといっぺんに記述する日記を書いて、それで満足してしまいたい。でも現実はそうはいかず、思い出したとき思い出したときでこつこつ削っていくように地道に書いていかなきゃならない。そもそも事象が無数ならその解釈や切り取り方だって無数、無限大の組み合わせ、とまでは言わずとも少なくとも「十分に大きい」だろうから、たぶんそれらを書ききることはない。「到達した」なんてのは常に思いあがりでなきゃならないが、その代り意識を一定に保っていさえすれば退屈することはない。その「意識を一定に保」つのが難しいんじゃん、ということはあるけど。
 タイトルは。一行日記はなんらかのルールからして“アウト”なのか? ということで。一行日記は須らくtwitterに移行すべし、という風潮には頑として逆らうべきなのか、素直に従うべきなのか、敢えて超然としているべきなのか。ともかく物事に対するスタンスをはっきりと決めておくのは便利である。話がずれている。僕はべつにこの風潮に逆らっても従ってもいないし、かといって超然としてもいない。超然としているふりをしつつ、横目でその動向を窺うありさま。いけませんね、ということで、いけないのかなあ、ということで、このタイトルを書いてみたが、「超然としている」という選択肢はすっかり忘れていたので、これを見出しただけでも収穫だな。というわけで以後はこのスタンスをとろうと思います。
 インターネットが楽しい。まあ僕のインターネットなんて巡回先の諸はてなダイアリー+αにとどまるのは周知の通りですが。やっぱ大学入ってからかなー、とは思っている。生活が動き出した。行動範囲を限定してしまうのはよくない! なんて今はイキがっているが、じゃあ高校生・浪人生時代の自分になんて言ってあげればいいのか、という問いに関してはまだ答えが出せていない。
 とかなんとか書いている。久々にイイ感じで(文章が自然に出て)書けた。もうすぐ大学がはじまるので、レポートの続きに取り掛かろう。