いいわけ

 いや、他人の思いつきになんて興味ねえよ、などと威勢良くtwitterにサラバを決めた矢先、前言を無視してヘラヘラとこんなこと(一言コーナー)を始めているのは、矛盾というまえに恥でさえある、のだが、とりあえずそうだな、他人の他愛ない思いつき乃至単なる日常の小景の羅列に対する興味を失ったのは恐らく事実だが、それは専ら“読む”ほうに於ける状況であり、他方ではまあ当然のことだが俺は俺自身の日常の小景のひとつひとつは大事に愛でるように眺めたいと思っているわけで……と言うとそれは要するに自己中心的であり読者のことを考えない万年独善ブロガーでしかなく、いやいや自己中心結構、自己中心万歳、みんなも独善日記書こうヨ、とか思うこともなくはないが、若しも世界に暮らす者が自分だけであるならばを意識して、或いは自分の行動の規範がそのままあらゆる他者の行動の規範になるよう行動することを考えて、まあつまり「他人の思いつきになんて興味ねえよ」と言った手前、他者も俺の思いつきになんざ興味ないかもヨという可能性を実現されたものとして想定するのが自分の思考パターンとしては常で、であるならば、いやいやあの「他人の思いつきになんて興味ねえよ」という文の主語は「俺は」だけでなく「ひとは」ということをもともと意識に備えていて、あるいはこれはレトリックで、結局自分は、文学者でも詩人でもない僕たちが一行で真実の在り処を仕留めることなんてほとんど不可能だろう? のようなことを言いたいのだった、かもしれない。
 いや、滅多な長さの一文だったが、それも仮の結論に過ぎない、もちろん高が数分数十分の思考で何が明らかになるという程のものでもないのだが、とりあえずこの「他人の思いつきになんて興味ねえよ」という一文の含むものが錯綜している、自分の頭のなかでは無矛盾な決定項であるに、それを言葉になるべく精確に表現しようとするとこれがなかなか面倒なものでンなことそれは昔ッから承知のことなのだがしかし昔ッから意識されていることであってもその問題の鮮度が失われないということは十分ありうるし現にあるしそれはおそらくすばらしいことなのだろうとは感じる。それで話を戻すと、先の一文はひとまず「文学者でも詩人でもない僕たちが一行で真実の在り処を仕留めることなんてほとんど不可能だろう?」と言い換えられる、と言った。でもこれもなにか変だ。「真実の在り処を仕留める」だけが全てではないという訂正や素人がモノ凄い作品を創りうる(とても低い)可能性を承認し取り捨てたとしても、なにか物足りない感じが残る。というか、そもそも、僕は(「僕」が出た!)、えー……と、僕はウェブに、インターネットに乗せて発せられた言葉に「真実の在り処を仕留める」ことは期待していない。それはいわゆる文学や学問が行えばいいと思っているし、実現可能性もそのほうが遥かに高いと思っている……ヘンな話ですが。ともあれ、僕がウェブ日記を読むにあたって求めるのは、内容に対する驚きや感心などといったものよりも、回線の向こう側にいる(であろう)一個人のひとりごと、なのだと思っている。いわば「そういう人がいる」ということを確認する、のが楽しく、時に救いになるのだろうと思う。
 その目的に照らし合わせると、twitterは僕にとってあまり優れた形式ではなかった。……あーあーそうか。これでありふれた常識的な、安心すべき結論に至るわけだ。別に悪いとは思っていマセンよ。やたら奇矯なこと言おうとする必要もないんだから。それーでー、twitterがなぜあまり気に入んなかったかといえば、断片的だからなんですよ。ね。twitterをはじめた頃、その文字数の制約から俳句的センスが必要になるなァ、と呟いた記憶があるのですが、つまりtwitterでは発言ひとつひとつが作品にならざるを得ないんですよね。固有のアドレスを貰ってしまうところも含め。別に短詩型文学なんてつまんねえとか言うつもりはなくて、……あーあーダメだ。結局「俺は結局日記が好きなんだ」というところに落ち着くようだ。だったら初めからそれ言えよという話で、話だわ。ごめん。別に短詩型文学なんてつまんねえとか言うつもりはなくて、twitterのユーザーは気の利いた一言を言おうとはするものの、それは文学者とか詩人には敵わない……のではなく、もちろんウェブならではの内容の洗練された一言というのもあるのだが……大半のユーザーは別に作品を作ろうとか意気込んでいるわけではなくただただ思ったことを発しているに過ぎずそれが悉く作品としてインターネットにばら撒かれていくという仕組みがどうも俺の美意識に合わないというか……それもあるんだけど……うーん、日常の小景を提示するのはいい、けど、すこしばかり断片的が過ぎるので、バラ売りしすぎるので、誰の日常でもいいきらいがあるんだよなー。結果、極端に言えば「誰かが水を飲みました」みたいな、ひどく無味なものになりそうな……いや、それほどでもない、むしろ、twitterのリアルタイム性は「誰かが水を飲みました」をvividなものに昇華しうるようにも思えるが……素人が悉く職人化することに対する不気味さ、だろうか……んー脱文脈化、というのは確かに好きではないんだけど……いずれにせよ、ウェブ文芸の本領は日記にあるぜ! という偏った意識が根っこにあるのは間違いなさそうだが……。/ここまで。一言コーナーの正当化、さもなくば廃止は今度する、と思う。