はじめに宣言しておくとこの文章の本質は日記サイト論です。なんか個人攻撃その他なんらかの思惑が渦巻いているように読めてしまうので多少掲載がはばかられるんですけど、しかし書いてみよう。「世界は賞賛に値する」の2008年5月18日分のコメント欄より引用。書いてる僕自身に悪意はないのですが、心外なところで自分の発言が引っ張り出されることは不快に思われるかもしれませんので、そうでしたらごめんなさい。その他、なにか問題があれば対応しますので連絡ください。

読者 2008/05/18 21:53
もっと簡単な言葉や表現で、
分かりやすく書いて欲しいです。


「読者」という名前でコメントをしていることに引っかかった。はてなダイアリーという半閉鎖空間において、匿名で(非ユーザー名で)コメントをつける、ということは稀だと思うのだが、稀であるゆえに匿名でコメント書いていく人の定番として、「通りすがり」が想起される。なにかブログとか掲示板のコメントに不意に現れる「通りすがり」は言うまでもなく不特定の人物で、たとえば「名無しさん」と同じ意味をもっているわけだが、彼らの残すコメントは得てして無責任であることが多く、いや匿名なんだから当たり前だろ、と思われるでしょうが、そうじゃなくて僕は彼らが一概に“うっとうしい”のです。個人のサイトに突然に現れて、テキトーなこと言って消えて、ということが、すごく場違いに思えて、邪魔すんなよ、と思うのです。いや。話がそれた。決してその「読者」さんを「通りすがり」に重ね合わせて叩いているわけではなく、つまり上に挙げたコメントは「通りすがり」という名前にまつわる良くないイメージを避け、匿名ではあるが建設的な議論はできる、なぜなら私は「読者」だから、という主張を放っているようにも見える。また、これはユーザー名を出して議論することでサイトに及ぼす或る影響を避けるための苦肉の策ともとれる。確かにあるユーザーが他ユーザーの日記にダメ出ししたら何とも言えぬ違和感はありそうです。だから静かに波を立てずに問題を指摘するために、匿名を使ったのかもしれない。愛読するものを少しでもよくしようと努力する読者というのは、当然いる。


……んですが、日記系サイトに限ってはその思いはしまっておくべきだ、と僕は思う。あくまで僕は。と、個人的な考えであることを再三強調しなければならないくらい一般性がない主張だと思うのでここに載せるのを少し躊躇うんですけど。
あのー、上のコメントを見たときに僕が率直に思ったことを書くと、「『世界は称賛に値する』はもともと難解なんだから、あらためて指摘したって仕方ないじゃないか」ということなのでした。難解という言葉には多少語弊があるかも分かりませんが、でも観念的な言葉がふつうの文よりかなり多く並ぶので、むずかしげな哲学書を開いたときのような「ワケわかんねー!」という感じが湧くおそれがあるのは事実なんではないでしょうか。しかし、ここで筆者の勝手な解釈が入り込みますが、観念的な言葉が並ぶのが「世界は称賛に値する」の語りのスタイルであって、それの変革を他者が試みていいのか? っていうことでもあります。
極端に言ってしまうと僕は、日記系サイトに改善すべき箇所なんてない、に近いものを感じている。かなり個人的な考えですが、日記サイトの発信者が心がけるべきただ一つの点は、なるべく誤解の生じないように考えを文章に焼くことだと思っています。幾ら文章がまずくても、伝えるべき、または伝えたいことが伝えられる形で掲載されるならばそれでいい。いや、んー、僕は日記サイトにおいて大事なのは「質」を上げるとかいうことじゃない、と信じている、ということ。
つまり言いたいのは、なんだろう、日記サイトに対して出版物と同じ要求をするというのは無茶だと思うんですね。たとえば売っている小説が支離滅裂な文章であれば金返せ! となりますが、いや、サイトを覗くに際しては金を出してないから多少サービスが悪くても仕方ないじゃん、という話ではなく、日記サイトというのは基本的に私的空間であって「作品」とは別物ですから、内容が良いとか悪いとかいう価値基準は存在しないと考えてるんです。僕はね。その人の考えたこと、思ったこと、感じたことの一片が覗ければそれでよいのであり、文章はそれで自己完結していて単方向的で他者の要求の入り込む余地はない、という、えと、あのー、なんだかひどく偏った物の見方を露呈してしまった感が強いですが、まあ僕はこういうことを日頃感じている、というだけです。どうも今日は的外れになっている気がしてなりません。