日記だよ

 企業は自らの利益のみを追求するから、私利私欲にのみ関心があり、したがって倫理的に悪である、と言ってみる。しかし、企業内には複数の人間が存在しているから、企業の利益はその内の人間の利益として振り分けられる、ということを考えると、企業は複数の人間のために貢献していると言える。しかし、その企業外の人間を蔑ろにして、内だけで繁栄していてはやはり非道徳的である。日本中の、いや、世界中の人間にひとしく繁栄をもたらさねばならない。いや、あらゆる排他性が非道徳的であるならば、考えうる限り広い範囲で、ものものを幸福にしなければならない。宇宙人はいるのだろうか? 彼らを幸せにすることは可能であろうか、また、それはいかにして達成されうるか。人だけではない、他の動物も、植物も、あるいは無生物の幸せとは何だろうか?
 ……とは本気で思っているはずもないわたしです! こんにちは日記を書きます! 余談ですがエクスクラメーションを 2 センテンス続けて付けてしまうと、以後えんえんと止め処がなくなりはじめるので気おつけてください! !!!!! でまあ日記でした。ここんとこ懲りずに「時間がないCOLOR」と口実を洩らしつつ twitterデンドロビウム戯れ言デイズを過ごしていたわけでありますけども、やっぱりやっぱりぼくには日記が必要なんだヨーンという気がしていまして、要するに再三訴えたいと思いますけども twitter に手を伸ばしがちで日記のほうが停滞している方がた!日記を書こう書いてください、なんでもいいから! ところで俺はなにを書けばいいんだ? そうね、今日、電車を wait している間断に思い巡らせたんだけども、大学生が暇であるというのは実質的な余暇時間の多さというよりも、いわば暇であることを社会的に保証されているところが大きいんじゃねえかと浮かんできたのでした。そうそれは心理的なものなのだと。要するに中学生高校生だとまず制服という生徒養成ギプスがある、担任という擬似的保護者?がある、という具合に強く帰属させられていたんですね。いや、あるいは精神の強靭なフリーマン諸氏はんなことねえ被害妄想YO! YO! 被害妄想YO! と仰るやも知れません、が、たぶんボケーっと生きてきた人びとにとってはこういう外面的な(よって本質的でないと見える)部分に案外毒されていた、まんまと策に落とされていたんではないかなあと、そういう人びとも少なくないのではないかなあと推測するのでありますいうか僕がそうだっただけなんだけどさ。あと通学に電車を用いる、というのも大きいと感じた。高校までだと行動範囲狭いし都会でもなかったので、つまり手の届く周囲に面白そうなものが見当たんなかったので、いや、手の届かないなら足を伸ばせと言うだろうが、そういうことじゃないよ実際。まいいや。文章が失速したのは夕飯を挟んだからですヨ。四月なのに吐息が白いって何よ。では突発的におつかれしたー。とにかく俺は自宅浪人していた限りなく暇と見えた時期より遥かに暇だそして忙しい! 暇というか自由さ、なんだよね。自宅浪人のときは社会に「浪人生せい」と言われていたから、時間的には有り余っていても、べべ勉強しよう、ちょっと休もうでも勉強しよう、といった具合に落ち着かない感じであったが、いまは社会に「大学生せい」と言われているから、そして大学生として生きることと僕の生活の波長が合うので今はいい感じだ。