東京彷徨者

 東京彷徨者でした。昨日(執筆時現在;9月1日)は、山手線一周、すなわち山手線沿いに歩いて歩いてこれを一周してしまおうという皆様お馴染みの企画(山手線一周とは - はてなキーワード)を試していたのですが、これが結果から言えばリタイヤ、ということになりまして、這う這うの体で帰宅・就寝しまして、今日は足の疲れを休ませているところなのです。移動しようとするとひょこひょこ歩くことになる。 YO, YO とノリノリであるようにも見えるが、とにかく歩きづらいです。んで終日布団の上にいて手持無沙汰なのでそのへんの次第を記録します*1
 先日、知人が海外旅行に行ったことを知り、そういえば俺は夏休みだというのにどこにも遠出しなかった、どこかに旅に出ようと、思っていたのに、何一つ達成できていない、それは遺憾だ、それでおめおめ大学に戻ることはできない、ということで、あまりお金がかからず、かつ、一日で済ませられるような大事業を求めました。そこで浮かんだのがこれ。山手線一周。そういえばmurashitさんの日記で見た(2009-04-02)、あれだ、よし、murashitさんが自転車ならば俺は徒歩だ、うんと疲れてやる、と、意気込んで、その日はさっさと布団に入ったのでした。見ようと思っていたテレビ番組を見逃した。
 出発は、上述の決心から3日後でした。翌日は父が長い出張から帰ってきたので……ということでやめた(?)。翌翌日は病院に行ってたんだぁよ。台風も来てたし。で、台風一家ということで雨は降らんだろう、とこの日を見定めて、午前8時起床、ご飯を食べてリュックに入れるもん(メモ帳と本、カメラ)入れて時計・携帯・財布・家の鍵をもって 9:05 に家を出る。家から山手線に着くまでがそれなりあって、駅まで徒歩20分くらい(暑かった、これで既にいくらか消耗した)、ツタヤに CD を返して、飲み物として伊藤園ミネラルスパーキーズを買う。図らずもここでルーキーズとの接点を得てしまった。味はポピュラーなスポーツドリンク(ex. ポカリスエット)に炭酸を足したよーな感じ、或いは味が薄めのアクエリアス・フリースタイル、あるいはメッツをポカリスエットで1:1で割ったかんじ。○○線(いちおう伏せ、ね)に乗って渋谷駅に直行、到着し、ブログに載せるために写真を撮ったのが 10:03 。ここから出発。

 東京をまともに歩いたことはなかったので最初の最初は楽しかった。でも観光はすぐに戦いに変容しました。渋谷から原宿までを歩くわけだが、これが妙に長かった。太陽がのぼっていて暑いのもあり長く感じたのだろうが、着いたときには 10:30 と移動に30分近く掛っていたことが判明、先が思いやられる。普段なら「もうヘトヘト」とか言ってる頃だよ。それでもこの頃は風景を楽しむ余裕があった。写真とメモをとったらそそくさと出発、 10:53 に代々木到着。この間に便意をもよおし、かといって駅のトイレは改札の奥(このことには後にも困らされた……)。仕方なくセブンイレブンに入り、用を済ませたら大人のマナーとしてガムを買って出る。代々木を発って途中「神保町まで4km」(だったかな)を示す看板に目を奪われながらも 11:21 新宿。このあたりまでは「徒歩でも案外いけるな」と楽天的だった。さて、「長い旅だから……」とジュンク堂に寄って本を品定めしたり買ったりしていたら一時間経ってしまった。むしろ、長い旅だから急がなきゃならなかったのに。これをしていなければ僕は無事、渋谷駅にゴールできていたかも知れません。まあまあ全体にとっては一時間くらいちっぽけなものさと考えつつ昼食までに池袋に着けるだろうかと案じつつ(当初は池袋でソバでも食べようと考えていた) 12:21 に再出発。でも山手線の方向がわからんのだよ、というわけで探り探り動くことに。線路が見えないまま移動しなければならない状況は案外と多くて、この TOKYO という都市は山手線一周erに優しく造られてはいないのだな、とは何度となく思ったことでした。まあそれが醍醐味なのかも知れんが……

 しばらく歩くと見覚えのある風景が。大久保です。前にも書いたような未発表なような気がするが、大久保というところは妙に自販機が充実していて好きです。あと韓国料理の店と教会も多い。気になっていたことがあるので第一教科書に寄ろうかとも一瞬考えたが、やっぱりよす。ジュンク堂の時点で既に本をよく品定める気力をなくしていたので、もうひたすらゴールを目指すだけかなーという感じがしはじめていたか。新大久保駅に着いたのは 12:41 。まだまだ暑いでした。タオルを忘れていたら恐ろしい目に遭っていただろうな。 12:58 に高田馬場。このころ既に「脚にきた」(メモ帳より)ようで、屈伸をしたが、気休めにとどまったか。途中で二度、道に迷う。ただし、メッコールを備えた自販機を見出すという LUCKY にも遭遇した。それでけっこう歩いた気がする。結局目白に着いたのが 13:30 。この二つの駅は近い筈だったのだが……。ここで昼食。マクドナルドに入り(とにかく休憩したかった)、注文の仕方がよく分からず(いや、利用したことがないわけではないのだが……)ハンバーガーとポテトを注文したら100円、へえ安いんだな、と思ってお金を払ったらハンバーガーしか出てこず、どうやら注文の声が小さかった様子でした。頼み直す気になれず、とぼとぼと二階に入って席を探して座る。ミネラルスパークも来る途中で飲み干してしまい、思えば飲み物がない……。もう一度降りて水を求めるかドリンクを頼むかしようかとも思ったが、あれこれ思った挙句に思考を投げ、昼食はハンバーガーひとつで済ませた(ちなみに、これ以降は飲み物しか口にしていない)。メモを書きながらだらだらと食べ、店を出る。食欲は食べ終わるころにわいてきた。かなり渇いていたので、駅前の自販機で天然ミネラルむぎ茶を買う。渇いたカラダに冷たい飲み物は最高!だが、飲んでも飲んでも渇きがおさまらずに閉口、あとは温存することにした。 13:55 に目白を発つ。

 歩きはじめると、すぐに脚の疲れが顔を出した。でもまあ道を知っていたので着実に 14:15 には池袋に到着。池袋駅は大きく、JR線以外の路線も混じっているので、進む方向に少し迷う。「JR池袋駅」の表示を探すのにも迷った。ここで、目にしたことのないソフトドリンク(まあ、中身はサイダーだとか、ポピュラーなものだが)を備える自販機を発見。位置だけ憶えて見送った。大塚に着いたのが 14:49 。絶対所要時間もそうなのだが、体感から言ってもこの間は妙に長かった。遠かった。歩道橋に上ったり、下りたり、線路に着いたり離れたり、電車と乗用車以外にはあまりやさしくない道だったと記憶する。都会を抜けたせいか。このへんになると本格的に疲れてきて、先も不安になってきていた。路面電車の通る線路の前で、アクエリアスビタミンガードを買う。少し味の濃いポカリスエット(スポーツドリンクの評価基準をポカリスエットに置いている)といった感じ、案外イケるな、と思った。知らないおばちゃんが僕のことをじろじろ見ていたが、変なかっこうだったのかしらん。このへんあんまり記憶がありません。駅の周りはそれなりに賑わう街なのだが、そこを過ぎれば住宅街(だったかなぁ……)。家、家、家、イエーとテンションが上がるはずもなく、アタマも薄ぼんやりとしたまま歩く。しばらく来てオヤおかしいなと気づいたのは遅く、かなり線路を見失っていました。もうこれは仕方なくいかんともしがたく駅に戻り再出発し、「帰ろうかな」の意識が頭をよぎりながらも 15:28 に巣鴨、着いて写真を撮ってメモをとったらそそくさと出発、ツライツライあし痛いと思ったり呟いたりしながらただ歩いて駒込に着く、そのときのメモ曰く「休みたいのだが適当な場所がない。」駅にベンチぐらい置いていてもいいものを、都会の人は休まぬが美徳か、などと思ったかは定かでないが、とにかく駅はただ単に駅なのだ、ということを恨めしく思っていた。この間に KIRIN LOVES SPORTS を買う。これは普通のスポーツドリンクでした。最も「疲れた」と意識していた頃。街並みについては特に記憶してません。うちの近所と似たようなものだったからか。 16:05 に田端。いいかげん辛い、こりゃたまらんと思い、駅前のドトールに入る。コーヒーを頼み、メモ帳にいろいろと書く:「ドトール(入るの初めてだよ)で休憩。 1/3 は来たかー。イヤーほんとに完了すんのかなこれ。まーかなり遅くなってかなり辛くなるのは覚悟せねばなるまい。しかし休む場所の少なさよ。休憩さえも商品になっているのだな。/しかし疲れてくると頭も働かんよな。「疲れた、休みたい」ばかり考えるせいか、脳が身体の一部であるせいか。/……座ったとたんに色いろ考えだしている。コーヒーの所為か?/しかしね、コーヒー1杯でもけっこう楽しめるもんだね。/飲んでばっかりいる所為で腹に異状のきざしが…! 自重せねば。/なんか希望さえ見えてきた。「ああまだこんなに残ってる…」どころか、「面白そうなところはまだまだあるぞ!」と。」。てなわけで、元気を取り戻した僕は 16:26 に再出発しました。まあ歩きはじめるとまたすぐ辛くなるんだけど。

 休憩のおかげで、まあまあ調子よく 16:43 西日暮里(この近くの中国物産店の前の自販機には中国の缶ジュースが備わっている)、 16:58 日暮里。メモ:「駅の改札通らないとトイレがないのは不条理だ。/日が落ちて涼しくなってきた。」。トイレについては小さい出入口ばかり見ていたからかもしれない。原宿、代々木あたり歩いていた頃に比べると体感時間がかなり延びている。 17:15 に鶯谷。この近くには異様なだけホテル(ま、ラブホテルでしょう)が並んでいた。右を向いてもホテル、左を向いてもホテルで、いわばホテルの迷路の如き様相を呈していたのを強烈に覚えている。そういえば「鶯谷」なんて名前もなんだかアヤシク思えてくる。もうちょっと時刻が遅かったらびくびくしながら歩いていたに違いない。近くの公園でトイレ&休憩。だんだん休憩の回数が増えてくる。歩道橋を渡るのだがこれがなんだか少し傾いているのか、感官が不安を訴える。ああ人造物がすべて安全とは限らんのだなあと改めて認識した。それでもすこし行くと上野公園に入り、なんやら静かで落ち着いていていい処だなあと思わされる。ベンチに座り、帰りが遅くなる旨を母にメールで伝えたのち、 17:49 上野。東京芸大を見に行く余裕はなかった。上野駅もいい処でした。広い通路の両側には人びとが座って文庫本を読んだりしていて、ああ休める駅なんだなあと貴重に思った。デッカいオブジェに心を動かされた。

 アメ横を通り、その活気に感動する。まあ、夕方で感傷的になっていたのもあるけど。このへんは線路にぴったりくっついて歩けたので楽だった。 18:08 御徒町。またしばらく歩いて行くと、周囲をつくる店に電気がらみのものが増えてきて、あるとき一気に風景がアキバ仕様に開ける。 18:25 秋葉原。ちょっとしたイスが用意されていて、goodjobgoodjobと思いながら座る。写真・メモ・買った本を確認ののち、駅の内を通ってさっさと抜ける。また、あしが辛くなってきた。しばらく歩くと、確かこのあたりで、おーいお茶・ほうじ茶を買う。 18:45 に神田。暗くもなったし、もういろいろ見てる場合じゃなくなってきた頃。加えて似たよーな道のりが続き、この道はループしてるんではなかろうかと空想する。 19:05 に東京。高くてデカい建物が多かった。大した感想出なくてすいません。ちゃんと線路を探そうとしなくなってきた。駅の写真を撮ってからしばらく歩いたらまたしても「東京駅」という文字が見えて、東京駅の広さを実感。線路沿いにいつまでも店・店・店。 19:24 有楽町。メモ:「本格的に辛くなってきたようだ。」ということで、以後はゴールへ向けてただ前に進むことばかりを考えていた記憶がある。 19:45 新橋。そろそろマズイと思い、再びマクドナルドに入ろうとしたが、テイクアウトのみであることに気づき絶望。進度を確認し、まだ先が長いことを知って心が深刻になる。それでも進むほかないと思い、足が痛い脚が痛いとつぶやき歩いていたらいつしか何やら店の外でテーブルはさみ優雅に食事をする西欧男日本女などを見、オシャレな場所に迷い込んでいたことに気づく。ベンチを見つけたので有難え有難えと座り、うろおぼえのやり方で足をマッサージする。地図を見ると、「汐留西公園」だって。あとは単調でした。 20:14 浜松町。夜、均質な時間のなか、ただ目的のために歩いていることだけが意識され、移動それ自体が目的となり、全く楽しくはなかったです。

 精神的にも辛くなってきた頃。この浜松町-田町間だけのことでしたが、歩きながら独りごちていたのが顕著なその印だった。その昔(高校1年だったか)、学校の帰りに深く迷い込んだことがあったのですが、そのときも自転車漕ぎ漕ぎ独り言を、眺めるそばから過ぎ行く街並みにぶつけるように、空虚に、吐いていたことがあった。でもあのときはせいぜい3時間程度で済んだのだ。まあ先が見えなかったから、体感時間はもっと長かったかも知れないけど……、いやいや、この浜松町-田町間もなかなかだった。さっきから大したこともない不幸自慢が甚だしいようですが、でも思ったまま書きます。次第に<涼しい>から<寒い>に移行してゆく空気、聞こえてくる虫の声。この虫の声がなんやら象徴的だった。んー。歩いても歩いても歩いているはずなのにこれがなかなか目的地に着かないんだな。 20:45 に田町到着、もうゆっくりしてる余裕もなく(夜になるとなぜともなくあせる)、イスに腰かけて効くのか効かないのかよくわからないマッサージを済ませるなり出発。この間、道は単調だったのだが、その単調な道がえんえんと続き、いつ終わるとも知れない都会の風景のなかで焦りが重く積みかさなっていった。このへんで何キロ先「横浜」「川崎」の表示を見たのではないかと思うが、少し光が見えた(僕は神奈川在住です)ものの、つのる焦りと心細さはそれをすっかり忘れさせるに充分だった。気取りすぎでしょうか。この部分を書いてるのはその日からすでに3日が経ってしまったころなのでご勘弁を。ところであんまり心細いと、ひとって……というか僕の“弱さ”のあらわれだとは思うんですが、品川に向かって歩いてるときに心から「帰りたい」と思ったんですよね。家族の顔が見たいと。このことは僕にとって意外なことでした。ふだんフラットだと自称するような無感動な人間なので。それでそういう思いも手伝って、歩調は一段速まっていた。あしが疲れた、痛いと言っていたはずなのに、精神というのは本当に大きなものですね。 21:15 に品川に到着。

 品川の写真が少しブレていることからも心身の疲れが窺えます(他人事みたいだな)。駅のニューデイズ爽健美茶・黒冴を買う。これがその日最後のドリンクとなりました。もう余念なく速歩きだす。夜になって暗いと時間の経過もよくわからず、辛いことはただ辛いまま積み重なって、あるいは辛いことだけが地続きに延びていた。辛い辛いばかり言ってバカみたいですけど、実際そんなことばかり言っていたのだから仕方がない。横断歩道がないため迂回して歩道橋を渡ったり、歩道がないため逸れて進んだり。そのうちに改めて道に迷ったり。いったん発現した感情は自己増殖し、速歩きももどかしく感じて走ることもあった。道行く人が僕の顔を見てくるので、妙な顔つきをしていたのだろうと思う。(ヘンな意味でなく)だいぶ興奮はしていただろうなあ。それもあまり気にせず、けっこう一心に歩いたり走ったりした。この間もまた長かった。二駅ぶんぐらい歩いたんじゃないだろうかと。 21:49 に五反田。それもそのはず、あとで気づいたことには品川と五反田の間、大崎をとばしていたのでした。焦ってるとよくありませんね。五反田駅前の様子は渋谷駅前のそれと似ていて、ああこれが渋谷だったらなあ良かったのになあ、いやいやそれでは山手線をすべて踏破したことにはならないではないか……と弱気に思った。信号待ちのとき、近くに停まっているタクシーが見かねて僕を乗せてくれないかなあ「渋谷駅までお願いします」いやいやそれでは……とも考えた。終電という存在が意識されはじめ、焦りも増す。もうすこしよく考えれば、たとえば 23 時に渋谷に着いたとしても電車には乗れたんだけど。

 かねてからの疲労・焦燥・心細さの蓄積に加え、品川から一気に約二駅分歩いたのもあり、五反田からはもうようわからん感じだった。朦朧、とまでは言わんが、実際ほとんど記憶がないというかかなり一心で歩き走っていたので、記憶すべきものをほとんど何も見なかった。なんか坂を上っただけ、というふうに覚えているが、実際の距離から言ってもけっこう近かったのかもしれない。この途中、ふと「もう帰ろう」と決心する。あたまの中で時間を計算してみたが、決して渋谷まで行って、家に無事に帰れない時刻ではなかった。だが、もう「これ以上やってもな……」と思ってしまった。客観的な目標の達成の前に、心理的な満足が来てしまったのだろう。決心してからはすぐだったと思う。 22:03 に目黒に着く。写真を撮ってメモをとり、エスカレーターを降りていった。改札を通ってホームに降り、イスに座って電車を一本見送った(乗客が多かったので)。あらためて乗り、3駅ほど過ぎてから座った。電車のなかではこの一日のことをいろいろ考えていた。もっぱら、ブログに載せる文章としてだったが(そういうクセがついちまってるので……)。電車を降りて、駅を出たらバスで帰ろうと思っていたが、どのバスに乗ればいいのかよく分からず、結局歩いて帰った。これがいちばん辛かったかもしれない。いったん電車に乗って、あしはお休みモードに入っていたため、それをあらためて働かせるともう機能不全を呈していた。爽健美茶を飲んで自分をはげましながら、病人のようなテイで帰宅、シャワーを浴びて布団に入り、なるべく痛みを感じないあしの置き方を模索したり、買った本をあきらめて眺めたりしながら眠った。

 おまけ、これから徒歩で山手線一周をする人に。

  • とにかく確実に前に進める道を選ぶに限る。長旅なので、あまり余計な時間と労力をくってる暇はない。
  • 夜が苦手、暗くなる前に帰りたいひと(僕です)は朝早く出るべし。
  • 道路は整然とはしていない(線路沿いに行けない部分もかなりある)ので、下調べしておくとかなり楽になるはず。じっくり研究してみる甲斐はありそうだ。
  • はてなキーワードの他の人の記録を見るかぎり、所要時間はかなりまちまち。ちなみに僕は仮に一周できたとすれば 13 時間近く掛っていただろう。これは山手線周りの地理にどれだけ通じているかが関わってくると思われる。自信のない人はかなり長く見積もってもよいかと。
  • 田端から品川までは京浜東北線の水色のオビの電車も並走しているので、それも目印にできる。

 やってるとき(特に田町-品川あたり)は「もう二度とやるものか」と思っていたが、今度また挑戦してみようかな。

*1:この記事は2009年9月2日から5日にかけて記録されました