1月26日

8:50 頃 朝から滅入っている。センター試験の結果のこと、それに繋がる自分の不勉強のこと。受験当時は「あーあ」という感じだったが、何日か経ってからじわじわ効いてきている。二浪さえ考え始める。もう浪人しないと言ったのに……、しかし今回全落ちしたらどうなるのか。家の人からは「もう一年」はしないと言われている。だから就職ということになろうか。だが就職にしてもそう年中募集しているものだろうか自分は知らない。年中募集でないとすればいずれ自分は今回失敗すればもう一年を宙ぶらりんで過ごすことになる。そう考えたとき二浪という文字が浮かんでくる。それは甘えだ。完全なる甘え。おそらく二浪したところで希望の大学には行けない気がする。おそらく、似たようなことを繰り返す。行ける人はたいがい現役で行けているものだし、自分のこの一年を顧みればもう一年浪人したって勉強しないように思う。それよりは今回の受験でどこかしら受かって、大学という環境のなかでいろいろと模索していったほうが有益であると。本当は、心のすみではもう一浪すれば希望の大学には行ける気もしているのだが、確信をもって言えない以上それは無意味な想像でしかないし、自分は第一志望に行くということに一般の人ほど重きを置いていない。

9:31 翼の折れたエンジェル / 中村あゆみ from テレビ。不安な精神。あと GRAPEVINE の「いけすかない」を聴こう、あとで。そういう気分。××××(大学のサークル名)に入ることを考える。慣れない対人的環境の中、部のなかでも縮こまっている自分を想像する。それは今、背中をまるめて目と指先で教科書とキーボードを往復している自分の投影だ。こんなことじゃ、いかんよ。

9:54 いけすかない / GRAPEVINE, 大人(NOBODY NOBODY) / GRAPEVINE 。それにしてもこの空虚感。あるいはニヒリズム。そういや高校入るときもこうだった。出来れば高校とか行きたくなかった。ほんとに何もやりたいことがなかった。ただ高校行く以外の選択肢が見つからなかっただけ。志望校もテキトーに決めたし、合格も運よく受験者が少なかったためで、最初から最後まで投げやりな受験だった。でも実際は高校は楽しかった、全体的に見れば、素敵なことがいろいろあった。そういうことを思って、とりあえず今は勉強なのだ。と言ってみる。 / 浮かない気分には GRAPEVINE がよくなじむ。逆に言えば充実しているときはあまり聴かない音楽なのではあるが、それはそういうものでいいのだろう。辛い気持を辛いまま感じるのも大切かもしれないけど、辛い状況をなんとか克服しつつ走り抜けるのも大事な技術である気がする。

10:08 まあ大して辛くはねえだろうよ、その実。……と、言ってしまうのは“アリ”かどうか。主観的にはわりと不快なのだが、客観的に見たとき、これが「辛い」と自信をもって言えなくなる。苦労物語が好きな国民のみなさまにすればもう、「甘えてんじゃねーよ」という有様なのだし。というか、傍目からしたら「苦労」にさえなっていない。そのことが却って救いのなさを増していたりするんだけど。そもそも「辛い」でも「苦労」でもない。ただつまらなくて、それが不快。と、書いてきて、さて、今現在は……それほど辛くなくなったかもしれない。“書く”こと、これオススメ。そーいや去年の今頃も、「妄誕F」 2008.2.1 と 2008.2.11 にて似たようなことをしている。これも受験前後でフラフラしてた頃だ。学校もなかったし。あと久びさに自分のサイトをちらりと読み返してみて、なかなかどうしてテキストサイト的だと思った。たぶんこれは制度的な要因でそうなっている。だから今になって、 HTML 日記サイトの必要性もどこかにあるのだ。需要のほうはどうか知らんけど。 / というか書きすぎですね。勉強の傍ら、という名目なのに。

11:09 んー、どうしても大事なのはバランス感覚だ。少なくとも、常識的な生活を順当に送るならば。逆に言えば、バランスを崩すなら徹底的にやんなきゃダメだ。芸術系の人はこうですね、イメージとして。バランスを崩しつつうまくやっていくバランス、なんてことも考え得ないわけではないけど、相当ハイレベルな技能だろうから考慮しない。

12:01 午前の部おわり。本でも読みつつ昼どうしようか考えつつ。ところで、これをパブリックに表す、つまりブログに掲載するばあい(もとよりその気ではあるが)、記事の冒頭にこの連投形式の説明などつける必要はないようだ。つけるとすればたぶん「朝からパソコンつけて勉強などしながら、精神安定のために綴ったもの」とか書くんだろうけど、読んでればだいたいわかるだろうし、何より記事のリズムを崩しかねないのが懸念だ。ついつい説明過剰になってしまうんだよな。できるだけ誤解の余地のないよう、知ってることは全部言いたい。でもそれならまず精確さを重視すべきだよな。それにしても国立の出願なんて厭だなあ。あらかじめ設定された負け戦という観念が、どうにも。開き直るしかあるまい。

13:44 ぼちぼち午後の部はじめますかな。ぼちぼち、というか、休憩が長過ぎたようだ。 / ひとつウェブ写経を。「××××(サイト名)」××××(日付) より。対象の選定には特別なにかの意思がはたらいたわけではなく、ほいほいと、効果が高そうなものをほぼ無意識に選んだまで。それにしても抵抗感じるなあ。今やろうとしているのは他者の思考と感性に立ち入ることで、これが何とはなしに怖い。他者恐怖か。たぶん女性の書いたやつだともっと怖いと思う。それでは以下:
 (省略)
……と。終えた。なるほど予想していたのに近い感じを受けた。つまり成功といえる。結構な体験でした。写経ということ自体は目新しくもありませんが、あくまで私的なテキストとしての他者の日記でこれをやる、というのはまた違う様相が表れてくるね。あと、これは写経全般に対して言えると思うけど、自分が見落としてる箇所がいかに多いか思い知らされる。

14:50 ……さっ! ここからが勝負だ。(いや常に勝負だけども、景気づけとして) / 性懲りもなく世界史。ついついこんな話で恐縮だが、世の高校生が世界史をあまり勉強しないのが気に入らない。 source はセンター試験の地歴の受験者数比較。わからんね……、日本史よりか世界史のほうがずっとためになるのに! と僕は思うのだが、いかんせん日本史をまともに勉強したことがないので説得力は皆無。いや、実を言えば、日本史ってローカルな感じがしてあまりそそられないんです。「日本人なんだから」というのはわかるし同意するけど、それと同様に「世界人なんだから」? という主張もできる。というかまあ、公共性が好きなんです。公共性というか公式性だな。となると自然に「権威」というコトバが浮かび上がってもくるわけだが。

17:27 いやーやっぱり散歩はいいものだなあ。 / 今回、いろいろ書いてて、思いついたこと逐一記録しているように見えるかもしれないけど、やっぱりここに書かれることは一日に思うことの数パーセントでしかないのだ。ということを考慮すると、普段の日記となればこれはもうダイジェスト版というか、テレビゲームの体験版のごとく、ごくごく小さい一角しかそこには書かれていない。でもそれでいいみたい。何故だかわからんがそういうものらしい。

20:49 なかなか楽しくなってきた。何が? というか。そして、やはり自己管理しなければ生活はうまくはいかないという実感が強まりつつある。「管理」は頭の中や指先で簡単に済ませてしまえる操作ではなく、どちらかというと荷物を両手で抱えて移動させる、あるいはあちこち走りまわって数かずの手続きをしていくイメージで捉えたほうがいいようだ。気を抜くなよ、という。

22:05 パソコンの動作が重いのは朝からずっと稼働しているからのようだ。 / どうも受容しつづけだと疲れるらしい。こちらから発信もしてやらんとね。勉強の話です。教科書を読んでるばかりでなく、自分でまとめ直してみたり、応用してみたり、問題を解いてみたり。要はコミュニケーションだ。双方向性は大事であるようだ。

22:42 時間切れっ。あとこの作業(こっちの話)は毎日少しずつやってくのが良いと再度確認した。少しずつ、は僕の苦手な領域ですけど、まあ頑張って管理してみよう。 / ところで今日書いた文の修正添削していたら、自分が「っ」のことが嫌いであることを実感する。「っ」を出来る限り排除している。排除しているはずだが依然として「っ」は見られる。今、日本語を書こうとすれば避けられぬのか。いっそ「頑張つて」などと古めかしい形にするか、さらに遡って「頑張りて」と古文調で統一するか。いや、けっこう本気で言ってる。